MUSIC 心地よい音楽を。
ミュージシャン 西寺郷太さんが選ぶ土曜の朝と日曜の夜の音楽。vol.1August 07, 2026
August.7– August.13
Saturday Morning

マイルス・デイヴィスのエレクトリック・バンドで、当時19歳だったギタリスト、レジー・ルーカスは、7歳年上のパーカッショニスト、ジェイムス・エムトゥーメイと出会いました。のちに二人が生み出した、まさに「土曜の朝」感溢れるマスターピースが「Never Knew Love Like This Before」。ルーカスが娘リサの誕生の喜びを真空パックしたというこの曲。シンガーのステファニー・ミルズが晴れた公園で野外撮影して歌うだけというミュージック・ビデオの手軽さが、なんとも言えない「休日の朝感」に満ちているのでセレクトしてみました。
ちなみにマイケル・ジャクソンのファンにとって、ステファニーは彼の最初の「恋人」とも噂される、“マイケル物語”に欠かせない存在です。シンガー・ソングライター的視点で僕が感じるのは、マイケル亡き後の2014年にマイケル版が正式リリースされた「Love Never Felt So Good」(ポール・アンカとの共作)との、歌詞や空気感も含めた類似性。両曲が作詞・作曲されたのが1980年前後のほぼ同時期だということを考えると、マイケルが、別れた後も成功を収めてゆくステファニーへのほのかな想いと感謝を詞曲に込めたのかな、などと勝手に想像して、胸がほんのり熱くなります。
1981年の第23回グラミー賞では、この曲で作者のエムトゥーメイとルーカスが最優秀R&B楽曲賞を、ステファニーが最優秀女性R&Bヴォーカル・パフォーマンス賞を獲得。その後、エムトゥーメイとルーカスはそれぞれの道を歩み、1983年頃、エムトゥーメイは自身のグループMtumeに専念。同年、斬新かつ、まさにジューシーなエレクトリック・ファンクの金字塔「Juicy Fruit」をヒットさせます。一方、スタジオ・プロデューサーとして単独の道を選んだルーカスが手がけた最初の大仕事が、マドンナのデビューアルバム(全8曲中6曲をプロデュース)でした。
アルバム『Sweet Sensation』収録。
ちなみにマイケル・ジャクソンのファンにとって、ステファニーは彼の最初の「恋人」とも噂される、“マイケル物語”に欠かせない存在です。シンガー・ソングライター的視点で僕が感じるのは、マイケル亡き後の2014年にマイケル版が正式リリースされた「Love Never Felt So Good」(ポール・アンカとの共作)との、歌詞や空気感も含めた類似性。両曲が作詞・作曲されたのが1980年前後のほぼ同時期だということを考えると、マイケルが、別れた後も成功を収めてゆくステファニーへのほのかな想いと感謝を詞曲に込めたのかな、などと勝手に想像して、胸がほんのり熱くなります。
1981年の第23回グラミー賞では、この曲で作者のエムトゥーメイとルーカスが最優秀R&B楽曲賞を、ステファニーが最優秀女性R&Bヴォーカル・パフォーマンス賞を獲得。その後、エムトゥーメイとルーカスはそれぞれの道を歩み、1983年頃、エムトゥーメイは自身のグループMtumeに専念。同年、斬新かつ、まさにジューシーなエレクトリック・ファンクの金字塔「Juicy Fruit」をヒットさせます。一方、スタジオ・プロデューサーとして単独の道を選んだルーカスが手がけた最初の大仕事が、マドンナのデビューアルバム(全8曲中6曲をプロデュース)でした。
アルバム『Sweet Sensation』収録。
Sunday Night

「Borderline」は、ステファニー・ミルズの「Never Knew Love Like This Before」にも携わったレジー・ルーカス単独名義による作詞・作曲・プロデュース。両曲はメジャー・セブンスから半音下のマイナー・セブンスへ滑り、さらに下降していく独特の明るさと切なさが入り混じったメランコリックな響きがかなり似ていて。そこにレジー・ルーカスの持ち味があったことがよくわかります。
ただ、面白いのは、ステファニーが放つ「朝」感と、ダンサー出身でクラブカルチャーの申し子とも言えるマドンナに漂う「夜」感の対比。
1980年の夏にリリースされたステファニーのシングルではドラムが百戦錬磨のセッションマン、ハワード・キングによる生演奏。その結果、全体に70年代の芳醇なディスコテイストが漂っているのですが、マドンナの衝撃的なデビューアルバムに収録され、1984年にシングルカットされた「Borderline」では、リズムがプログラミングサウンドに。ただし、制作陣の回想によると、まず生ドラムを演奏した上で、それを「シンクラヴィア」と呼ばれる当時最先端のデジタル機材に取り込んでリズムのタイミングを調整。レコーディングの最後に生のシンバルやハイハットを重ねたとしています。つまり、マシンの音色と人間のグルーヴを混ぜたということ。それが時代の空気、ニューヨークのストリートから下積みを経て登場したマドンナの「夜を纏った」イメージにピッタリとフィットした。小学校高学年の多感な時期に、こうしたダンスミュージックの洗礼を浴びたこともあって、僕はこのような「融合」にこそ、今も最もグッと来てしまうんです。
当時、ドラムマシンの登場によってセッション・ドラマーの仕事が急速に奪われて脅威となったそう。それは、ある意味、近年のAIの進歩と、職人仕事が次々に置き換えられていく感覚にも重なります。僕自身、ミュージシャンという仕事柄、もちろん困ることもあるのですが、恐れるだけでなく、うまく使いこなして新しい時代の音楽を生み出したいな、と考えながら日々暮らしています。
アルバム『Madonna』収録。
ただ、面白いのは、ステファニーが放つ「朝」感と、ダンサー出身でクラブカルチャーの申し子とも言えるマドンナに漂う「夜」感の対比。
1980年の夏にリリースされたステファニーのシングルではドラムが百戦錬磨のセッションマン、ハワード・キングによる生演奏。その結果、全体に70年代の芳醇なディスコテイストが漂っているのですが、マドンナの衝撃的なデビューアルバムに収録され、1984年にシングルカットされた「Borderline」では、リズムがプログラミングサウンドに。ただし、制作陣の回想によると、まず生ドラムを演奏した上で、それを「シンクラヴィア」と呼ばれる当時最先端のデジタル機材に取り込んでリズムのタイミングを調整。レコーディングの最後に生のシンバルやハイハットを重ねたとしています。つまり、マシンの音色と人間のグルーヴを混ぜたということ。それが時代の空気、ニューヨークのストリートから下積みを経て登場したマドンナの「夜を纏った」イメージにピッタリとフィットした。小学校高学年の多感な時期に、こうしたダンスミュージックの洗礼を浴びたこともあって、僕はこのような「融合」にこそ、今も最もグッと来てしまうんです。
当時、ドラムマシンの登場によってセッション・ドラマーの仕事が急速に奪われて脅威となったそう。それは、ある意味、近年のAIの進歩と、職人仕事が次々に置き換えられていく感覚にも重なります。僕自身、ミュージシャンという仕事柄、もちろん困ることもあるのですが、恐れるだけでなく、うまく使いこなして新しい時代の音楽を生み出したいな、と考えながら日々暮らしています。
アルバム『Madonna』収録。
edit : Seika Yajima
ミュージシャン 西寺郷太(NONA REEVES)

1997年にNONA REEVESのシンガー、メイン・ソングライターとしてデビュー。
以後、音楽プロデューサー、作詞・作曲家としても少年隊、SMAP、V6、YUKI、岡村靖幸、A.B.C-Z、鈴木愛理などの多くの作品、アーティストに携わる。
バンド以外でも小説家、脚本家、ライター、MCや自身のYouTube チャンネルNishidera Gota Channel(NGC)では映画『Michael』の劇場公開に合わせたマイケル・ジャクソンの解説動画が100万以上の再生数を記録。これまでにソロとしてカバーアルバムを含め4枚をリリース。弾き語りなどソロライブも定期的に実施。

























