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私にとっての買い物と生活。写真と文:原田教正 (写真家) #1June 05, 2026
「いつから物を買いはじめましたか」とか、「どんな基準で買っていますか」などとよく聞かれる。覚えている自分なりの基準を持った初めての買い物は、19歳のときだった。当時、高円寺に『Part of life』という店があり、野田さんというぶっきらぼうな女性店主が、6畳くらいの小さな古物店を営んでいた。そこで買った、千円くらいの小さな陶器の楊枝差しのような物が最初だった。用途が曖昧でやや不恰好だったそれは、なんとなく作られたような雰囲気の物だった。浪人生活をしながら、アルバイトで稼いだなけなしのお金だ。フィルム3本とその陶器を天秤にかけたことを今でもよく覚えている。

中学、高校、大学と同世代の友人に恵まれなかった私にとって、少し離れて暮らす祖母の家に通い、料理を習い、そこで食器棚を埋め尽くすように並べられた器たちの中から、その日の料理に合わせて器から箸置きに至るまでを選ぶ時間は、心の救いだった。料理が消えていく過程で変わりゆくテーブルの景色や、その前後にある所作なんかを見ていると、器や道具に恵まれた生活ほど、人間にとって幸せなものはないと思った。そういった感覚は、後に民藝やさまざまな作家物、プロダクトに興味関心を持つことに繋がっていったし、そうした着眼点からくる私の独特なこだわりや価値観は、親ほど歳の離れた物づくりに携わる大人たちや、古物商を営む一風変わった人々との会話の種にもなり、いつも話し相手になってもらっていた。今もそうだ。
物を買うことに、いちいち基準を定めたりはしない。年齢や環境に応じて必要に感じるものは常に変わるし、それっぽい基準を設けるよりも、自分がどう生きているかと常に照らし合わせるしかない。そういう意味で物選びは、私にとってどこか人生と地続きだ。単純に興味が湧いて買うものもあるが、今っぽさや何かを真似たようなデザインありきの物には、注意を払うようにしている。飾りっ気より、自分と呼応することが大切なのだから。この世には有り余るほど物が溢れているから、そこから何かを見つけ出し、選び取り、自分の筋道に乗せていくことは、案外難しいようにも思う。

だからと言っては大袈裟かもしれないが、飾っていても、所有欲を満たしても仕方がない。突然何かを欲しいと感じたとき、いつもそう思うようにしている。有名な作家物や確固たるプロフィールを持ったヴィンテージアイテムだって、その物自体の所有が私をつくるわけでも、満たしてくれるわけでもないのだ。あくまでも使っていく先に見えた景色の連なり、道具を扱い、身体に残る感覚、湧き上がる感情。それらを確かめること、その集合体が生活であり、物との健全な付き合いだ。
私の中には、さまざまな状況や気分に応じて引っ張り出したくなる物と、それにまつわる景色が大量に記憶されている。今はベルリン、東京、某所のアトリエと、方々に買い集めてきた物が散っていて、時々それがストレスに感じることもあるのだが、所変われば、また新たな景色の発見に繋がる。物や道具の不在によって日常の景色に欠損が生じることで、かえって気づかされることが多々あるのだ。安定した生活を手放した今、そうした発見を楽しむことが、今後の人生に繋がっていく。そんな時なのかもしれない。これからも、目の前のことを大切にしながら、自分なりの景色を探し求めていきたい。
写真家 原田教正














































