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科学者ダーウィンの庭。文:イセキ アヤコ(アンティークジュエリーバイヤー)#3October 23, 2026

南東ロンドンに住んでいたとき、チャールズ・ダーウィンの旧邸宅が車で20分くらいの距離にあると知り、ときどき家族で訪れるようになった。彼の家「ダウンハウス」は現在は慈善団体イングリッシュ・ヘリテージが管理しており、一般に公開されている。
ダウンハウスにはダーウィンの幼少期の肖像画が飾られている。1816年、妹のキャサリンと一緒に描かれた7歳ごろの姿だ。私がその絵を好きな理由は、チャールズ少年が黄色っぽい花をつけた植木鉢を抱えており、ややはにかんでいて嬉しそうに見えるところである
持っているのは、19世紀のイギリスではまだ珍しかった南アフリカ原産の球根植物「ラケナリア」の一種だそうで、本人がのちに自伝で語っているように、彼は幼い頃からすでに植物や昆虫などに強い興味があった。そしてその陰には、父親のロバートが当時最先端だった温室文化や科学的趣味へ理解があったことも大きいと言われている。
では、そんなダーウィンが大人になってから暮らしていた自邸の庭はどんな様子だったのか。これがまたとてもいい。日時計が置かれた家のすぐまわりはイングリッシュ・ガーデンらしい趣きだが、もうすこし先に行くと彼が研究していた植物や当時の伝統的な薔薇(ヘリテージ・プランツ、vol.2の記事参照)などの花壇と家庭菜園、さらに実験室を兼ねていた水色の温室があるのだ。
イングリッシュ・ヘリテージがダーウィンの屋敷を引き取るまでには紆余曲折があったが、最終的に、荒れ果てた庭をダーウィンが生きていたころと同じ状態に近づけるため、担当チームは気の遠くなるような作業を行なった。彼がのこした日記、手紙、家族の記録、家計簿、そして当時の写真などをもとに、実際に何を育て、どこに植えていたのかを丹念にひもといていったのだ。傷んだ温室の外装も、残っていた木片をラボで解析し元の色を復元したと、ダウンハウスにいる職員から聞いた。
イギリスには歴史的建造物や自然や生き物を守るための慈善団体がいくつもあり、こうしたチームのミッションは私たちの想像をこえるレベルの根気と熱意をもって日々遂行されている。ボランティアの方々も含め、頭が下がる思いである。
温室の中に入ると、まず最初に目に飛び込んでくるのはたくさんの食虫植物。とくに、小さな二枚貝のモンスターのような「ヴィーナス・フライトラップ(ハエトリグサ)」が印象的だ。ふちに睫毛のような毛が並んでおり、内側の感覚毛という毛に虫が触れるとわずかコンマ数秒という速さで葉が閉じ虫を捕らえる。これはダーウィンが晩年に研究していた植物で、消化液の分泌やその刺激に対する反応などを観察し、実験結果を論文で発表していたという。他にも蘭やつる性の豆などが栽培されており、彼の視界を追体験できる空間になっている。
ダーウィンの庭のつくりで私がいちばん羨んでいるのは、彼が敷地の奥に、考え事にふけるための短い散歩道を持っていたことである。5分くらい歩くと元の地点に戻ってこられる回廊のような小径で、長さは約400メートルしかない。彼はここを「サンドウォーク(砂利道)」と呼び、毎日2回、規則正しい時間に何周か歩くのを日課としていた。

実際に歩いてみると、緑が生い茂るばかりの小径はカントリーサイドにあるためとても静かで、自分自身が小石を踏みしめる音や、風に揺れる葉の音、鳥の鳴き声くらいしか聞こえてこない。それが心地よく、落ち着くのだ。
ダーウィンは、子どもの頃から何か一つのことや考えにとりつかれると、周囲の状況や注意すべきことが完全に頭から抜け落ちてしまう性格だったと自伝の中で振り返っている。少年時代、考え事をしていて古い城壁の通路(遊歩道)で足を踏み外し、幸い大事には至らなかったが、2メートルちょっと下に転落したこともあるらしい。サンドウォークは、彼にとってはパーフェクトな思索場所であった。
33歳から亡くなるまでの40年間を彼はダウンハウスで過ごし、『種の起源』の執筆もここで行なった。ダーウィンの庭は、ただ花を愛でるための装飾的なガーデンではなく、明確な意図があってそれぞれの区画が作られており、機能的で、その割に窮屈さは感じない。ダウンハウスの庭は、私がいつまでも憧れる理想の庭のひとつである。
photo:Akemi Kurosawa
アンティークジュエリーバイヤー イセキアヤコ





































