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『ブエノスアイレス』選・文/在本彌生(写真家) / May 20, 2016

This Month Theme外に行きたくなる。

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在本彌生(写真家)

ブエノスアイレス 長場雄

心を鷲掴みにされたブエノスアイレスの光景。

もともと風光明媚な観光地に行くことにあまり興味がない。場所よりも人、そして思いもよらない出来事に出合いに、どこかへ行くのが好きだ。旅立ちのきっかけは様々だが、普段見聞きするものから、心にぶら下がってなかなか離れない「光景」を感じ取ったとき、その場所を訪れてみたくなる。小説やエッセイ、音楽の中でそれを見つけることもあるが、映画の中で触れた映像体験に導かれて旅に出ることが、私の場合は多い。それによって今までの人生の選択の、半分くらいが決まって来ているようにさえおもう。
渋谷にかつてシネマライズというシアターがあった。そこで観たたくさんの映画に影響を受けたが、その中でも王家衛(ウォン・カーウァイ)監督の『ブエノスアイレス』は、公開前のトレーラーから完全にやられた。イグアスの滝を空撮したスローショットとカエタノ・ヴェローゾのゆったりと甘い歌声。もうそれだけで心を鷲掴みにされ、恐ろしく単純だが、私はアルゼンチンにブエノスアイレスに行こうと決意した。完全なる「ブエノスアイレス」カブれとして。その南米の長旅での経験は、今の自分の重要な一部になっている。
新しい二人の関係を求め、地球の裏側に行ってみようとブエノスアイレスに住み着いたウィンとファイ。上手くいくことの少ない生活が、淡々と過ぎていく。愛しているから憎たらしいし傷つけ合う。街角の夜闇、石畳を照らす昼間の太陽の眩しさ。二人が生活するブエノスアイレスの下町ボカ地区、アパートの部屋の光景の切なさったらない。観終わると、どこに何が置いてあるか覚えてしまうくらいにこの部屋での二人の営みが映し出される。この映画の真意は、やさぐれた二人のいるブエノスアイレスの路地と、部屋の中にあるといっていいだろう。深夜、ボカを走るがらんとしたバスに乗る二人、風邪をひいたファイを、無理矢理夜の散歩に連れ出すウィンのわがままや気まぐれ、一人になって泣きながら部屋の床を掃除するウィン……。部屋で二人がタンゴを練習する有名なシーン以外にも、印象に残るシーンは数えきれない。レスリー・チョンとトニー・レオンは、完全にウィンとファイとしてこの映画の中で喧嘩して、抱き合い、泣いている。そしてなにより、この作品は尊敬すべき元放浪者の撮影監督、クリストファー・ドイルが魔法をかけた映像だ。
私はこれまでもこれからも、この映画を何度も観て、ブエノスアイレスに生きていた二人をおもうのだ。

illustration : Yu Nagaba
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主人公の二人はブエノスアイレスの下町に放たれた美しき野良犬たちといってもよい。一方、健康的な若さ、無垢さ、明るさを振り撒くチャン・チェンの存在も脇役ながら重要。音楽はヴェローゾからザッパまで、監督が撮影でブエノスアイレスに滞在中に聴いた音楽をそのまま映画に使ったという。
ブエノスアイレス
Title
『ブエノスアイレス』
Happy Together
Director
ウォン・カーウァイ
Screenwriter
ウォン・カーウァイ
Year
1997年
Running Time
96分
販売元 株式会社KADOKAWA

写真家 在本 彌生

外資系航空会社で乗務員として勤務、乗客の勧めで写真と出会う。以降、時間と場所を問わず驚きと発見のビジョンを表現出来る写真の世界に夢中になる。美しく奇妙、クールで暖かい魅力的な被写体を求め、世界を飛び回り続けている。2006年5月よりフリーランスフォトグラファーとして活動を開始。雑誌、カタログ、CDジャケット、TVCM、広告、展覧会にて活動。世界各地を駆け巡り、被写体を追った写真集『わたしの獣たち』(青幻舎)が発売中。

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