河内タカの素顔の芸術家たち。
人間の本質をえぐる彫刻を生み出す ロン・ミュエク【河内タカの素顔の芸術家たち】July 10, 2026

ロン・ミュエク Ron Mueck
1958- / AUS GBR
No. 152
オーストラリア・メルボルン出身。人形制作・修理を営む家業の中で育ち、映画・広告業界において20年以上にわたりモデルビルダーおよび特殊効果担当として活動。天才マペット師として知られるジム・ヘンソンが監督した『ラビリンス/魔王の迷宮』(1986年)への参加が重要な転機となる。1986年よりロンドンに拠点を移し、義母の画家パウラ・レゴからの依頼により制作した『ピノキオ』(1996年)が評価される。完成させた作品が非常に少なく、30年間の活動でもわずか49点しか残していないが、そのうちの1点である《スタンディング・ウーマン》(2007年)が十和田市現代美術館に常設展示されている。
人間の本質をえぐる彫刻を生み出す
ロン・ミュエク
ロン・ミュエクは、長年イギリスで制作活動を行っている、オーストラリア出身の現代アーティストです。神業とも言える卓越した技術によって、人物や顔を超写実的に描写するだけでなく、現実離れした巨大なスケール、あるいは縮小させて提示するという特異な表現で知られています。
アーティストになる前は、映画やテレビのパペット(人形)制作に従事していたミュエクですが、映像で切り取られるアングルに必要なだけの不完全な人形に不満を抱くようになり、次第に、「どの角度から見ても本物に見える人形を制作したい」という願望が彼を美術家の道へと駆り立てていくこととなります。そして、1997年に発表した、自身の父親の遺体を4分の3スケールで再現した《死んだ父》が英国現代美術界を牽引する富豪コレクター、チャールズ・サーチが企画した伝説的展覧会『センセーション』で展示されると、美術批評家やメディアに一躍注目され、観客にもショッキングな驚きを与えたのです。
ミュエクは、人の肌に似た弾力性と透明度を持つシリコンやグラスファイバーを用い、皮膚の下を流れる血管や静脈の青白さまで再現します。さらに、髪の毛の1本1本、シミやそばかすまで、実際の人間に限りなく近づけて制作するため、「本物なのか、偽物なのか」の判断がつかなくなるほどです。そんな驚異的な写実に加え、「街で毎日見かけるから面白くない」という理由から、あえて等身大の作品を一切作らず、現実からかけ離れた数メートルもの巨大像か、小さなサイズにして制作します。このようなスケールの操作によって、見るものの感覚を混乱させ、戸惑いや不安感を呼び起こすのですが、これは彼が単に写実的な彫像を目的にしているのではなく、「人の心理や存在そのもの」を表現しようとしていることを示唆しています。
例えば、現在、森美術館で展示されている、ベッドの中にいる女性を描写した《イン・ベッド》(2005年)は、日常の何気ない情景を巨大化して表現した作品ですが、長さ6.5メートル、幅約4メートルという度肝を抜くサイズなのです。ジョナサン・スウィフトの著書『ガリバー旅行記』の、小人に囲まれた横たわったガリバーを思い起こす人もいるはずで、眉間にしわを寄せ虚ろな目で空を見つめているためか、鑑賞者は彼女のしわや毛穴をじっくりと観察でき、非日常的な体験をもたらすような作品です。
一方、黒い水着姿で壁にピタリと背をつける少女を描写した《ゴースト》(1998/2014年)は、高さ約2メートルほどあり、奇妙なほど長い足を持つ作品です。この作品には、10代の多感な時期、急速に変化する自分の心と体に戸惑いとともに、「いっそのこと、“ゴースト”になって消えてしまいたい」と願う少女の心理を捉えています。しかし、水着姿のうえ巨体化されているため、彼女は周囲の視線からは隠れることができず、それがまたこの作品の「切なさ」を際立たせているのです。
超人的な技術を屈指するミュエクですが、市販の道具では不可能な特殊な道具を自ら制作し、自身の手と感覚に合わせてカスタマイズすることで知られています。身体の細部まで表現するために、人間の肌のわずかな凹凸、しわ、シミを再現し、さらに頭髪、眉毛、まつ毛、腕、脚の毛に至る細部にまで配慮し、シリコンの皮膚に一本一本の毛を慎重に植え付けていきます。しかも、毛包の独特な角度や毛髪の成長パターンも考慮するなど、想像を超えるほどの時間が費やされていて、このアーティストの尽きることのない探求心と屈強な忍耐力には驚かされるばかりです。
ミュエクは、3Dスキャンなどのデジタル技術が普及した現代においても、先人たちから受け継いだ手作業による人形作りに強いこだわりを貫いているはずで、そんな彼の人形作りへの取り組みは、単なる写実や細部へのこだわりを超えた、儀式的な意味合いを帯びているように思えてしまいます。まるで呼吸をして体温を持っているかのようなミュエクの作品は、言葉を超えて、「人間であるとはどういうことか?」「生きるとはどういうことか?」という根源的な問いを投げかけるのです。

『「ロン・ミュエク」展 展覧会カタログ』(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)出展作品の解説や参考作品図版、作家の歩みを紹介するビジュアル年表などを掲載。ロン・ミュエクの言葉やフランスの写真家・映画監督ゴーティエ・ドゥブロンドのインタビューも収録。
展覧会情報
「ロン・ミュエク」
会期:~9月23日(水)まで開催中
会場:森美術館
住所:東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー53階
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/ronmueck/
本展は、100個の白く巨大な頭蓋骨の彫刻を積み上げた大型作品《マス》など、ミュエクの主要作品を中心に、初期の代表作から近作まで11点を展示。会場では、ミュエク・スタジオの作業風景を撮った映像作品《スティル・ライフ》と、《チキン/マン》が上映されており、ミュエクの理解を深める上で貴重な資料となっている。
文/河内 タカ
高校卒業後、サンフランシスコのアートカレッジに留学。NYに拠点を移し展覧会のキュレーションや写真集を数多く手がけ、2011年長年に及ぶ米国生活を終え帰国。2016年には海外での体験をもとにアートや写真のことを書き綴った著書『アートの入り口(アメリカ編)』と続編となる『ヨーロッパ編』を刊行。現在は創業130年を向かえた京都便利堂にて写真の古典技法であるコロタイプの普及を目指した様々なプロジェクトに携わっている。この連載から派生した『芸術家たち 建築とデザインの巨匠 編』(アカツキプレス)を2019年4月に出版、続編『芸術家たち ミッドセンチュリーの偉人 編』(アカツキプレス)が2020年10月に発売となった。
































