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矢野直子さんの心地よい住まいと、家や細部についてインスピレーションを与えてくれる本の話。July 27, 2023

住まいを考えると暮らし方も見えてくる。住まいのプロである矢野直子さんが、自邸を紹介しながら、影響を受けた本などについて教えてくれた。ほかにもこれからの家づくりや住まい方の参考になる、大切に読みたい本を紹介。

暮らしと住まいの本 矢野直子 積水ハウス 業務役員 デザイン設計部長
棟により形が異なり、向いている方角も違う。土地の起伏で階高が均一ではなく、ちょっとしたラビリンス的な集合住宅。その一室が矢野さんと夫・賢さんの住居だ。リビングの窓に広がる緑の風景に惹かれてここを選んだ。愛犬のベージュも居心地が良さそう。

柔らかい光が続く北向きの家で、 家や細部について考える本を読む。

この家とは、矢野直子さんが大学を卒業して良品計画に入り、その後、夫とともに渡ったスウェーデンから帰国したときに出合った。

「建築家だった叔父の影響で、昔から建築が好きでした。坂倉準三の事務所にいて、私の実家も彼が設計し、併せてプロダクトもセレクトしてくれたそうです。それもあって、最後に空間を司るのはプロダクトなんだなと実感して、その勉強をしたいと思ってこの世界に入りました」

 良品計画在籍中に無印良品の発案者の一人、田中一光の偉大さを知り、会社にあった『デザインの前後左右』を手に取った。20世紀を憂い、この傷ついた地球を21世紀にどんなデザインで再生していくかという、田中一光の哲学に触れた本。

「一光さんのこの思想が、私のデザインに対する考え方の基礎になった気がします。非西洋文明の再認識、新品ではない美意識の復興などの考察は、理解が進んできましたが、まだ道半ば。一光さんの言っていたことは正しいと改めて思いました」

 ブルーノ・ムナーリの『モノからモノが生まれる』も無印良品に携わるなかで読んだ本。

「デザインについて考えるときのいろいろなヒントが詰まっている、ショートショート形式の問題集みたいな本です。アイデアをどうやって膨らませるかを、20代の私に教えてくれました」

 ムナーリの思想から、デザインの企画は生活から自然と生まれてくるものであり、必要なことさえ考えればうまくいくと言われたような気がした。

「それは、私の師匠のような存在である深澤直人さんから教えてもらった『いいデザインをするよりも、悪いデザインはしないこと』という言葉と似ています。意図的よりも、自然で無意識ななかにいいデザインが存在する、という意味。そういうことを受け取れるのが『EMBODIMENT Naoto Fukasawa』です。深澤さんにはいろいろな言葉を教えてもらっています。他にも『ものの姿をデザインすることは、背景をも含めた周囲をつくること。それがアンビエントだ』。これが私の空間に関わる考え方につながっています」

ものと本が好きな二人。コーナーに分けて置かれているのと、色のトーンが揃っているため、整っていて落ち着いた空気が流れている。右側の本は主にデザインに関するもの。左側の白磁の壺は黒田泰蔵作。「今は素地の色が好きで、なかでも白磁に惹かれています」 
ものと本が好きな二人。コーナーに分けて置かれているのと、色のトーンが揃っているため、整っていて落ち着いた空気が流れている。右側の本は主にデザインに関するもの。左側の白磁の壺は黒田泰蔵作。「今は素地の色が好きで、なかでも白磁に惹かれています」 
壁の色はリビングの一部だけグレーで、基本は白。額装したショパンの楽譜や泊昭雄の写真を飾っている。寝室や化粧室など3 か所あるドアは、すべて枠をつけていない。「玄関ドアは外が表、内が裏という考え方ですが、住む人が普段目にするのは内側のほう。外は駄目だけれど内側は塗り替えてもよかったので、白にしました」
壁の色はリビングの一部だけグレーで、基本は白。額装したショパンの楽譜や泊昭雄の写真を飾っている。寝室や化粧室など3 か所あるドアは、すべて枠をつけていない。「玄関ドアは外が表、内が裏という考え方ですが、住む人が普段目にするのは内側のほう。外は駄目だけれど内側は塗り替えてもよかったので、白にしました」
約80㎡のこの家は2007年に購入。内見のときは天井の梁の凸凹が目立ち、変な影がたくさんあったという。一部は天井が低くなったけれど、フラットになるようリフォームした。時計は深澤直人とともに、電子音ではなく風を送るふいごで鳩が鳴く、昔ながらの鳩時計を、日本で唯一手がけるメーカー〈リズム〉に制作依頼し〈more trees〉で販売したもの。〈フレイラウム〉の本箱は、廃番になる前に急いで2 つ買い足した。
約80㎡のこの家は2007年に購入。内見のときは天井の梁の凸凹が目立ち、変な影がたくさんあったという。一部は天井が低くなったけれど、フラットになるようリフォームした。時計は深澤直人とともに、電子音ではなく風を送るふいごで鳩が鳴く、昔ながらの鳩時計を、日本で唯一手がけるメーカー〈リズム〉に制作依頼し〈more trees〉で販売したもの。〈フレイラウム〉の本箱は、廃番になる前に急いで2 つ買い足した。

 たとえば、ダイニングチェアはテーブルに収まっているときの後ろ姿が家の風景として大事ということなど、プロダクトが空間でどのような空気感をつくるのか、矢野さんもそれを意識して、もの選びや住まいづくりをしている。

「もう一つ印象的な言葉は『デザインの仕上げの最後の最後にすることは、かわいいパウダーをかけること』。これはすごくチャーミング! 慣用句の『神は細部に宿る』と同じですよね」

 細部はディテール。『吉村順三のディテール 住宅を矩計で考える』は、まさにその細部の話。

「吉村順三の設計した集合住宅の部屋を一つ所有しています。そこでも実感することですが、彼の作る建物の、特にディテール、納まり方に惹かれます。1 か所で違う素材を組み合わせるとき、どう処理するかが意外と難しいもの。でもその処理の仕方で空間のクオリティが決まってくる。まさにかわいいパウダーです。吉村順三は接ぎ目、素材の変わり目の仕上げが本当にうまい。しかも見た目だけではなく、機能も兼ね備えた状態で美しいんです。この家を買ってリフォームするときに、ドアをできるだけ壁と同化させたくて、すべてドア枠をつけませんでした。彼の影響からか、こういう納まり方をすごく考えましたね」

 かわいいパウダーをかけるときれいに納まる、というのが今日のキーワードと笑う矢野さんが、20~30代の頃に影響を受けたのはスイスの建築家、ピーター・ズントー(ペーター・ツムトア)。

「『建築を考える』を読むとわかりますが、彼は谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』をとても提唱していて、光の捉え方を大事にし、ものを見極めています。風景の中の光、月光や闇の考え方とかがこの本から読み取れる。実は私たちの住んでいるこの部屋は、隣接する公園の緑を借景にするため、北向きになっています。北側だからこそ安定した光が入り、いつも柔らかい。そして緑からの反射の光を感じる。私の光の考え方とこの家はいい具合にフィットしました。風景のことをもう少し話すと、俳人の中村汀女が昔から大好きなのですが、彼女は主婦だったせいか、家の中の風景を句に詠んでいます。『中村汀女句集 自選自解 現代の俳句6 』では、毎日同じ家にいて、なぜこんなにつぶさに光や風、匂いを感じ取れるのかと不思議で。一つの句から想像がぐんと広がっていきます」
『日本の色』では、日本の家に使われている色について、歴史や風土との関わりに触れた。

「収録されている、編者の大岡信さんと磯崎新さんの〝日本の住まいと色〞という対談が面白いんです。二人は日本で美しいとされる風景の色について語っています。風土が違えば家に使う色も変わるもの。3 年間スウェーデンに住んでいたときは、室内に色のあるものを並べていました。でも帰国してここをリフォームするときは、できるだけホワイトキューブにしたかった。私も夫もものと本が好きだから、それが映えるように。とはいえプラスチック的空間にはしたくなくて、無垢の天板のテーブルを置いて温かみを出しています」

コンスタンティン・グルチッチがデザインし〈無印良品〉で販売していたサイドテーブルを本棚に。母から譲り受けたフラワーベースに季節の花を飾って。
コンスタンティン・グルチッチがデザインし〈無印良品〉で販売していたサイドテーブルを本棚に。母から譲り受けたフラワーベースに季節の花を飾って。
最初は箸置きになるような石を探して拾っていたつもりが、だんだん増えてきた結果、ジャーに溜めることに。拾った場所と日付をペンで書き込んでいる。
最初は箸置きになるような石を探して拾っていたつもりが、だんだん増えてきた結果、ジャーに溜めることに。拾った場所と日付をペンで書き込んでいる。
アートに関する本が並ぶコーナー。地球儀はアートディレクターの吉田昌平によるもの。
アートに関する本が並ぶコーナー。地球儀はアートディレクターの吉田昌平によるもの。
庭や植栽などの大切さを知った『荻野寿也の「美しい住まいの緑」85のレシピ』。荻野は積水ハウスの仕事もいくつか手がけており、この本にも掲載されている。
庭や植栽などの大切さを知った『荻野寿也の「美しい住まいの緑」85のレシピ』。荻野は積水ハウスの仕事もいくつか手がけており、この本にも掲載されている。

 ズントーとともにずっと好きなアルヴァ・アアルト。弟子とされる武藤章が書いた『アルヴァ・アアルト』は、彼の仕事をまとめた本。

「アアルトは有機的な素材や形に惹かれていました。彼が設計した建物も有機的なものを加えることで愛着を生み、そういうプロダクトで空気をやさしくしていると思います。この家にもマルニ木工の椅子『HIROSHIMA』など、有機的なもの、人の手の痕跡を残したものを配しています」

 現在、矢野さんは大阪に単身赴任して、住む人それぞれが大切にしたいものを住まいに編み込んで、長く暮らしたい家を作る新プロジェクト〝ライフ ニット デザイン〞に携わっている。この企画でアドバイザーをお願いしているのが皆川明。

「皆川さんとは長いお付き合い。『つづくで起こったこと「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」展93日間の記録』は対談集で、各章の最後に添えられた感想から相手への深い敬意を感じます。皆川さんは判断力があり、しかもとても早い。私も部下には必ずイエス、ノーを言うと決めています」

『パタン・ランゲージ 環境設計の手引』『荻野寿也の「美しい住まいの緑」85のレシピ』『グリーン経済学 つながってるけど、混み合いすぎで、対立ばかりの世界を解決する環境思考』は、積水ハウス入社後に出合った。仕事に関係しつつ、俯瞰して住まいについて考えていく助けになる本。

「『パタン・ランゲージ』は物件を見て心地いいと感じた理由が言語化しづらいとき、そのヒントがたくさん載っています。荻野さんの本は、家の庭と植栽についてしっかり考えたことがなかったので、そのきっかけになりました。『グリーン経済学』は、環境問題などデザインで何が解決できるかを思い巡らせる経済の本です」

photo : Masanori Kaneshita text : Akane Watanuki edit : Wakako Miyake


積水ハウス 業務役員 デザイン設計部長 矢野直子

東京都生まれ。多摩美術大学卒業後、1993年、良品計画入社。2003年にプロダクトデザイナーの夫・賢さんの赴任でスウェーデンへ。同時に業務委託でMUJI Europe Holdingsに従事。帰国後、三越伊勢丹研究所(旧伊勢丹研究所)に入社、’13年から再び良品計画へ。生活雑貨部企画デザイン室長を経て’20年に積水ハウス入社。現職に。

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