花屋『みたて』の「折々に見立てる、京の暮らし」
揺れる水に豆を沈め「後の月」。Vol.5 / July 22, 2021
四季折々に迎える歳時記を、京都の花屋『みたて』が植物を通して表現。一つの作品を通して、京都ならではの生活が見えてきます。
揺れる水に豆を沈め「後の月」。
月見と聞けば旧暦八月の十五夜。中秋の名月を思うものの、実は日本にはもうひとつの月見がある。それは旧暦九月の十三夜。十五夜からひと月ほど経ち、秋も深まった頃、満月になる前の少し欠けた月を愛でる、「後の月」「名残の月」とも呼ばれる風習だ。奈良時代から平安時代にかけて中国から伝わった十五夜に対して、日本独自の風習として始まったとされる十三夜。供え物とした時節の実りから、十五夜は芋名月、十三夜は豆名月や栗名月と呼ぶことも。今ではほとんど見られなくなった十三夜の行事や風習も、かつては「木曾の痩(やせ)もまだなほらぬに後の月」(松尾芭蕉)、「三井寺に緞子(どんす)の夜着や後の月」(与謝蕪村)など、多くの歌人や俳人に詠まれ、十五夜とともに広く親しまれた大切な歳事のひとつだった。
今回の見立てはその十三夜。平安時代の公家たちの月見は月を直接見るよりも池や杯に映る姿を楽しんだとも伝わることからイメージを膨らませ、逆さにした燈籠の地輪のくぼみをつくばいに見立てて水を張り、色とりどりの豆を沈めた。ゆらゆらと水面に映る月に見立てて水面に浮かべたのは、ゴウダソウという草花の実の隔膜。原産のヨーロッパではルナリアという名を持ち、その名はラテン語のルナ(=月)に由来する。丸く平べったい独特の実の形は、洋の東西を問わず月の姿を思わせるよう。傍らにはススキをさりげなく添え、手水鉢にもてなしの心を込めた仕掛けだ。
photo : Kunihiro Fukumori edit & text : Mako Yamato
*『アンドプレミアム』2015年11月号より。
花屋 みたて
和花と花器を扱い、四季の切り取り方を提案する京都・紫竹の花屋。西山隼人・美華夫妻がすべてを分担し営む。