真似をしたくなる、サンドイッチ
秘伝のソースがカギを握る。
ステーキ&フライのサンドイッチ。真似をしたくなる、サンドイッチ Vol.23December 09, 2022
サンドイッチをこよなく愛するパリ在住の文筆家、川村明子さん。『&Premium』本誌の連載「パリのサンドイッチ調査隊」では、パリ中のサンドイッチを紹介しています。
ここでは、本誌で語り切れなかった連載のこぼれ話をお届け。今回は、本誌No109に登場した『ラ・バゲット・デュ・ルレ』で惜しくも紹介できなかったサンドイッチの話を。
ステック・フリット専門店が、サンドイッチのテイクアウトに挑む。
パリに、サーロインステーキとフライドポテトを合わせたひと皿のみをメイン料理に掲げるレストランがある。その店『ル・ルレ・ドゥ・ヴニーズ』は、1959年、フランス南部のワイン醸造用ブドウ栽培者によって生まれた。
今では創業者の孫娘・ポーリーヌが指揮をとるステック・フリット(ステーキ&フライドポテトのこと)専門店に転機が訪れたのは、パンデミックがきっかけだった。外出禁止令の解除と、しかしながら、飲食店の店内での営業は引き続き停止が発表された時点で、ポーリーヌはそれまで一度も着手したことのなかったテイクアウトに足を踏み出す必要があると考えた。店の看板料理は変えずに。『ル・ルレ・ドゥ・ヴニーズ』では、塊で焼いたサーロインステーキをスライスし、ソースをかけて提供する。それをそのままテイクアウトにしたら、肉は乾いてしまうしソースもおいしくない。熟考の末、バゲットで挟むことにした。もちろんフリットも一緒に、だ。
次は、サンドイッチ専門店へ。
外出禁止令が解かれ、人々がオフィスへ出勤するようになったタイミングで発売すると、ランチタイムには買い求める人が列を成した。バゲットに店の看板料理ステック・フリットをそのまま挟んだサンドイッチは、3日目にして2時間半で300個が売れた。レストランの営業を再開するに至っても、まだ店内で食べることをためらう人たちもいる状況だったから、サンドイッチのテイクアウトは続けた。すると、毎日欠かさずサンドイッチを買いに来るビジネスマンが現れた。店内で食べるのではなく、好んで、サンドイッチを買っていく。毎日とは言わずとも、週に数回、サンドイッチを目当てにやってくる人も少なくない。そんな人々の足の運びを鑑みて、初めて発売した日から1年後、サンドイッチの専門店『ラ・バゲット・デュ・ルレ』をパリ市庁舎近くにオープンした。
リピーターも多い、炭入りの真っ黒なバゲット。
メニューは、ステック・フリットサンドのみ。材料はごくシンプルで、バゲットに、サーロインステーキ、細身のフリット、それに秘伝のソースの4つだ。ただ、パンは3種類用意されている。シンプルなバゲット、それにグルテンフリーのパン、目を引くのが、炭入りの真っ黒なバゲットだ。炭が入っていると消化に良いなどの節もあるらしいが、ただ単に、見た目にバリエーションをつける目的でレパートリーに加えたところ、その外見に惹かれてか、この黒いバゲットサンドをリピートする人がとても多いそう。味は、普通のバゲットと変わらない。はずなのに、何とはこれまたはっきり言えないけれど、何かが違う気がしてしまうから、視覚的な情報というのは大きいのだな、と思う。私個人は、バゲットサンドよりも腹持ちが良い気がした。パンの生地が、普通のバゲットの方が少しエアリーな印象だからだろうか。
サンドイッチとはいえ、注文すると、肉の焼き加減を聞かれる。フリットも注文ごとに揚げられて熱々だ。そして、焼いた肉はレストランと同じように、スライスして挟む。だから、皿の上と、パンの狭間でどこにも違いはない。バゲットにはバターを塗らず、まずソース。そこにスライスした肉を並べ、再びソースをかける。最後に、隙間を埋めるようにフリットをふんだんに詰め込む。重たいかと思いきや、意外にあっさりしていることに驚く。くどさがない。秘伝のソースのなすわざか、2、3日後にはまた食べたくなる。食後の満足感は、レストランに行ったら、食べ終わったあとのソースをバゲットで拭い、余すところなく味わって締める、あの感覚に通ずると思う。
この秘伝のソースは、創業以来、一度もその中身を公にしていない。にもかかわらず、「やっとレシピを見つけた!」と題し、大手の新聞社が記事を出したこともあるという。エスカルゴに合わせるのが定番の、ハーブ入りニンニクバターソースにも似ている気がするけれど、もっと複合的な味わいだ。聞けば、たくさんのスパイスを使っていて、ソースの製造は3つのラボに分けて依頼しているそうだ。だから、ソース全体のレシピを知る人は、外部にいない。幾多のスパイスのなかには、創業当時、簡単には到底手に入らなかったものも含まれていて「どうやって考案したのだろう、と不思議で仕方がない」とポーリーヌは話してくれた。