& Le Creuset 幸せな食卓をつくるキッチンウェア。
〈ル・クルーゼ〉の思い出。
文・山内マリコOctober 30, 2023 /〔PR〕
〈ル・クルーゼ〉との出合いや、初めて手にしたときの喜び、それが叶えてくれる幸せな食卓、豊かな時間……。作家・山内マリコさんが書き下ろす、〈ル・クルーゼ〉の思い出。
〈ル・クルーゼ〉の思い出。
無駄遣いに厳しい家だったせいか、子ども時代の、欲しかったけど買ってもらえなかったもののことをやたら憶えている。その筆頭が、お鍋だ。うさぎとにんじんのイラストがあしらわれた琺瑯の両手鍋で、蓋の取っ手が丸っこい木製、両サイドの持ち手部分も木だった。童話に出てきそうな愛らしさで、買って買ってと駄々をこねたが、「木の持ち手なんて使いにくそうだし、火が当たったらすぐ焦げそう」と母はバッサリ、あえなく却下されてしまった。
あらためて思い出すと、それはとてもダサい鍋だった。けど欲しかったなぁ。早く大人になって、自分の好きなものを自由に買いたいと、しょっちゅう歯噛みしていた。
〈ル・クルーゼ〉のお鍋をはじめて見たのはいつだったろう。マガジンハウスのどれかの雑誌で知ったのは確実だ。たぶん2002年かそこらの、まだ『anan』の増刊として出ていたころの『ku:nel [クウネル]』だったんじゃないかと思うけれど、正確なところはわからない。ともあれ、わたしはいつからかごく自然に、〈ル・クルーゼ〉のお鍋の存在を知った。それが熱伝導率に優れていることや、長く使えるフランス製の名品であること、かなり重いが、愛用者はみなその重さに愛着を抱いていることなどを知った。そして例のうさぎとにんじんの琺瑯鍋と同じように、わたしはそれを欲しがった。もうすっかり大人になっていたので、母に却下される心配はない。けれど、おいそれとは買えなかった。高かったのだ。
いまでこそいい調理器具が万単位することにさほど抵抗はないけれど、デフレ真っ只中のあのころは、冬物のコートくらい買えそうな〈ル・クルーゼ〉の値段に、心底ビビったものだ。とても自分が買えるものじゃないなぁと諦めの境地で、稀に店先で現物を見ては、「いいなぁ」と指をくわえて羨望のまなざしを注いだ。
〈ル・クルーゼ〉といえば、あのオレンジ色だ。熱伝導を色で表現したようなグラデーションの洒脱さは、フランスへの憧憬とないまぜになってわたしを魅了した。あのころは突然「生活」が脚光を浴びていた。街角のおしゃれスナップではなく、自宅を公開してこだわりの暮らしぶりが披露される時代。雑誌には「丁寧な暮らし」的な言葉が躍り、キッチン回りや生活雑貨も、いいものにしたくなる機運が高められていた。ある意味でそれは、保守回帰という世情を見事に写し取っていたわけだけれど、当時のわたしはそこまで深いことなど考えず、ただただ〈ル・クルーゼ〉のお鍋に憧れた。あのお鍋さえあれば丁寧な暮らしに一歩近づけるのではないか? あれさえあれば、おしゃれとはほど遠いうちのキッチンも、一気にパリっぽくなる気がした。
そんな憧れの〈ル・クルーゼ〉を手に入れた日のこともまた、わたしは強烈に憶えている。地元のショッピングモールにあった、各種ブランド品を扱う謎のディスカウントショップでのこと。帰省していたわたしは、折込チラシで歳末セール情報を知り、家族に車を出してもらっていそいそと出かけた。お世辞にも素敵とはいえない店内。さまざまなブランドの財布や時計、バッグがごちゃまぜに集められた店の、手前の方の棚に、高級磁器メーカーのカップ&ソーサーらとともに、〈ル・クルーゼ〉は並んでいた。
オレンジ色のどっしり重たいお鍋を欲しがるわたしを、同行の家族は、たぶん首を傾げて見ていたことだろう。値段といい重量感といい、富山の善良な市民であるうちの家族の、理解の範疇を超えていたと思う。セール価格とはいえ、それでも充分に高額だったお鍋を、わたしはいそいそと買い、東京の一人暮らしの部屋に送った。
丁寧な暮らしがここからはじまるのを期待していたが、あまり料理が好きではないので、カレーくらいしか作らず宝の持ち腐れになってしまったことは言うまでもない。
それから数年が経ち、結婚なんかして、いまのマンションに引っ越してすぐのこと。ガスコンロに炊飯用のスイッチがついているのに気づいた。試しに〈ル・クルーゼ〉のお鍋にといだお米と水を入れ、火にかけてみると、これが驚くほど美味しく炊けた。炊きあがりと同時に蓋を取ると湯気がわわっと溢れて、現れたごはんは一面ピカピカとみずみずしく、文字通り光り輝いていた。一口食べてみると、思わず手を合わせたくなるほどの得も言われぬ美味だった。
つき合いのある富山の米農家さんから分けてもらった無農薬コシヒカリを炊いてみると、さらにグレードが上がった。信じられないくらい美味い。わたしは即座に、大学時代から使っていた炊飯ジャーを処分した。そして、米農家さんから直接お米を買うようになった。新米の季節に一年分の予約を入れ、五キロを食べきるたび、新たに精米して送ってもらっている。食生活に関してはあまり自慢できるようなこだわりもないし、やっとこさ毎日食べていますという程度なのだけれど、米にかける情熱だけはアツい。人生観が変わるほど美味しいお米が炊けてしまったので、もう引き返せなくなっている。
そんなわけで〈ル・クルーゼ〉のお鍋は、うちのキッチンで日々活躍中。炊飯専用のものではないので、実はけっこう吹きこぼれる。それで、五徳にアルミカバーをしている。ちょっとかっこ悪い。でもいい。専用ではないからこそ、お米を炊くだけでなくほかの料理にも使えるところが、実用的でいいなと思っている。
買ってからゆうに十五年くらい経っているのだけれど、くたびれるどころか、お鍋はますますいい感じだ。いいものは経年変化で具合がどんどん良くなるというけれど、実際そのとおり。フライパンやほかのお鍋たちは、数年でダメになってすでに何度か買い替えているのに、〈ル・クルーゼ〉だけはびくともしない。高いと思った金額なんて、とっくに元は取れている。なによりあの炊きたての白米とはもう別れられない体なので、これからも大事に使っていきたい。
山内マリコ Mariko Yamauchi
作家。2012年『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎)でデビュー。’16年刊行の小説『あのこは貴族』(集英社)が、’21年に岨手由貴子監督で映画化された。近著に『一心同体だった』(光文社)、『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』(マガジンハウス)がある。2023年春から朝日新聞の書評委員を務める。 文化放送のラジオ『西川あやの おいでよ!クリエイティ部』に月曜レギュラー出演中。 自身の作品を朗読するポッドキャスト「音圧が足りない! 〜山内マリコのひそひそ朗読サークル〜」を不定期更新中。
illustration : Honami Matsuo