河内タカの素顔の芸術家たち。
写真と絵画の領域を往来するアーティスト、ゲルハルト・リヒター【河内タカの素顔の芸術家たち】Gerhard Richter / July 10, 2022
写真と絵画の領域を往来するアーティスト
ゲルハルト・リヒター
ドイツの現代アートを代表する画家であるゲルハルト・リヒター。現在、東京国立近代美術館で日本の美術館では16年ぶりとなる大規模な展覧会が行われています。油絵だけでなく写真やガラスや鏡など様々な素材を使い、観るものの想像力を掻き立てる多彩な作品群に圧倒されますが、個人的にはリヒターといえば写真からトレースして描く「フォト・ペインティング」のアーティストとしての姿をまず思い浮かべてしまいます。写真を絵画に持ちこんだのはリヒターに限らず、アンディ・ウォーホルなど戦後のアーティストたちが多種多様なアプローチを行なってきましたが、壁画制作によって若い頃から腕を磨いていたリヒターも、60年代初期から写真をトレースしキャンバスに描き始めるや、その作品により彼の名前は次第に広く知られるようになっていきました。
リヒターの作風はその当時から、肖像画、静物画、風景画とわりと伝統的な題材ばかりだったのですが、フォト・ペインティングの元ネタとなったのは、自分や他人が撮った写真、あるいは雑誌や新聞からの複製写真です。それらをプロジェクターを使いキャンバスに投写し、忠実になぞるように描かれていました。ようするに、その作業はかなり機械的に進められていたわけですが、にもかかわらず、そこには「リヒターらしさ」というものが常に感じられるのはどういうことなのでしょう。しかも、リヒターは「モチーフとなるイメージの選択基準に意味はない」とずっと公言しているのですが、ほとんど誰が見てもリヒターの作品だと認知できるということは、やはりリヒターならではのスタイルが確固として息づいているという証です。
今回のビジュアルポスターにもなった、ピンク色の服を着たうつむきぎみの若い女性(リヒターの娘)を描いた『エラ』という印象的な作品があるのですが、同じ展示室には、自身の子供の幼少時を描いたものや、毎夏過ごしていた避暑地の風景画などもあり、そのどれもがリヒター自身が長く手元においていたというくらい思い入れのこもった作品です。これらはどれも日常的なスナップ写真から描いたものであり、輪郭がぶれ、焦点が合わずボケたようなリヒターらしい描き方がされています。リヒターは意図的に写真のように見せて描いているのですが、これは写真表現でなくやはり絵画表現であると考えるのが普通でしょうし、「イメージの選択に意味はない」という本人の言葉に対しても、このように家族を描いていたりするわけだから、やはり意味はあるはずだと考えていいのではないかと思います。
リヒターのフォト・ペインティングの特徴としてあるのは、元となった写真そのものの物質感を強調することで、撮られているイメージにより真実性を持たせようとしているところかもしれません。それが写真であり絵画でもあると言われる所以で、このアーティストにしかできない類のないフォト・ペインティングが生みだされたということだと思います。加えて、リヒターの最も有名な静物画と名高い蝋燭や頭蓋骨を描いた作品からは、どこか神秘的ともいえる静謐なオーラが感じられるのですが、そこにはリヒターの並外れた技量の高さがあって可能になったことは疑いのないことではないかと思えます。
さて、リヒターのもうひとつの大きな特徴が、純粋な抽象画を具象画と並行して描き続けたことなのですが、その抽象画の下にはなんらかの具体的なイメージが潜んでいるという幻想をぼくはずっと抱いていました。それはもちろんリヒターが写真的な絵、または写真に直接描いていたからですが、いくつかの例外を除いて彼の抽象画にはイメージなど描かれていないと今回の展示でやっと気付くことができました。ただし、そう分かっていたとしても、リヒターの絵を前に立つと、なんらかのイメージが眠っているのではないだろうかと考えてしまうのは、半世紀以上もかけて創り上げたこの画家のミステリアスな要素や崇高さが、彼のどの絵画にも息づいているからなのかもしれませんね。
展覧会情報
「ゲルハルト・リヒター展」
会期:開催中〜2022年10月2日
会場:東京国立近代美術館
住所:千代田区北の丸公園3-1
https://www.momat.go.jp/am/exhibition/gerhardrichter/
今後の巡回予定
豊田市美術館:2022年10月15日〜2023年1月29日