Art素顔の芸術家たち

This Month Artist: Simon Rodia / September 10, 2016 サイモン・ロディア

Author

河内 タカ

simon_rodia
Simon Rodia
1879 -1965 / USA
No.034

ナポリ付近で生まれたロディアは15歳の頃、ペンシルベニア州に住む兄を頼ってアメリカへ移住。その後、人生のほとんどをロサンゼルスで過ごし、左官をしながらワッツタワーを完成させた。ビートルズのアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」には、ロディアの顔写真がボブ・ディランの横に使用されている。

たった一人で33年の歳月をかけて作りあげた
サイモン・ロディアの「ワッツタワー」

 イタリアのナポリ近郊の町からアメリカへと移民してきたサイモン・ロディアという一人の男がいました。この人、誰の助けも借りずに気が遠くなるほどの長い歳月をかけ、LAのダウンタウンから南に30分くらいの場所にあるスラム街に、「ワッツタワー」という鉄とコンクリートでできた尖塔が立ち並ぶ不思議な建造群を作り上げた人物として知られています。ちなみに、ワッツ地区に建てられたためこの名称が付けられました。

 ロディアは、昼間は日雇いの左官として働いていたものの、どういう経緯があったのかは今も謎だそうですが、自身が購入した土地に手作りの塔をコツコツ建て始めたのです。しかも、彼は建築に関する教育などまったく受けておらず、そのすべてを見よう見まねで行っていたというのです。

 ゆえに、その建てられ方も限りなくDIY的で、溶接をしていない鉄筋を強引にセメントで固め骨組みを作り、そこに割れた皿、カップ、ビール瓶、タイル、貝殻、小石など、ただで入手できるものはなんでも使い、まだ乾かない状態のセメントに埋め込んだりしてその飽くなき作業は進んでいきました。騒音が理由だったのか奇人と見られていたためか、当初は近所の住人から嫌われていたものの、ロディアの地道な取り組みは途切れることなく続けられ、その結果、住民も誇りに思うほどの14本の巨大な円筒形の塔を完成させ、そのうちもっとも高いものはなんと30mもの高さに達していました。

 そして、やっと完成が見えてきたこれらの建造物のことを、ロディアは誇らしげに「我らの町」と呼び、「なぜこれらの塔を造ったのですか?」と問われると、「特に理由はない、ただ何か大きなことをするべきだと思っただけさ」と何事もなかったように答えたといいます。しかし、1954年に最後の塔を建て終わるや、その土地と建物全部を近隣の住人にあっさりと譲り渡し、ロディアはひとり近郊のサンタバーバラに引っ越してしまい、それから亡くなるまでその地でひっそりと暮らしたそうです。

 それから随分と時が経ち、ロサンゼルス市はこの塔を不許可建築として取り壊そうとしたそうですが、この塔の価値に注目した映画業界人や美術研究者らによって保護され、やがて1990年にはアメリカ国定歴史建造物にも指定されました。そして、今やロサンゼルス郊外の観光名所にもなっているのですが、それにしても、このモニュメントを長年に渡って創り上げるのに、なにがロディアをここまで突き動かしたんでしょう。

 彼の前述の談話を聞く限りは、そもそもロディアにとって、完成してしまったものより作る過程の方がよほど重要だったのか、その後は二度とこのタワーをロディア自身が見に来ることはなかったそうです。その潔いほどの彼の姿は、信仰深さゆえに長い旅を続けてきた巡礼者のようにも思えてしまうのですが、とにかく、このワッツタワーというのはロディアの「生きた証」となって、今もなお多くの人々の心にインパクトを与え続けているのは確かなのです。

Illustration: Sander Studio

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『Sabato Rodia’s Towers in Watts: Art, Migrations, Development (Critical Studies in Italian America)』(Fordham Univ Pr)30年以上の歳月をかけて作り上げたという大作「ワッツ・タワー」で知られるサイモン・ロディア。歴史や文化といった様々な視点から、彼の作品の魅力を掘り下げる一冊。


文/河内 タカ

高校卒業後、サンフランシスコのアートカレッジに留学。NYに拠点を移し、展覧会のキュレーションや写真集の編集を数多く手がけ2011年に帰国。アマナの写真コレクションのディレクターに就任。2016年には自身の体験を通したアートや写真のことを綴った著書『アートの入り口(アメリカ編)』と続編となる『ヨーロッパ編』を刊行した。現在は、京都便利堂において写真の古典技法であるコロタイプの普及を目指した業務に携わっている。