花屋『みたて』の「折々に見立てる、京の暮らし」
晩秋に愛でる「残菊」の美。Vol.31 / February 03, 2022
四季折々に迎える歳時記を、京都の花屋『みたて』が植物を通して表現。一つの作品を通して、京都ならではの生活が見えてきます。
晩秋に愛でる「残菊」の美。
残菊とは盛りを過ぎても咲き残る菊のことで、晩秋を表す季語でもある。重陽の節句の盛りの菊とは違い、一輪二輪残って咲く花の趣を表す言葉。かつては梅と同様に菊も愛したと伝わる菅原道真公も、菊や残菊を詠んだ漢詩や和歌を残している。
『みたて』晩秋のあしらいは須恵器の小壷を花器に見立て、アオツヅラフジを可憐なノジギクと共に生けた。蔓や葉が木々に絡まる野山にて深い藍色の実が主張し、ふと目に止まるアオツヅラフジ。色づいた葉も含め数枚だけ残った葉が、まるで晩秋の野を切り取ったような空気を醸し出している。
山野草は野山にあるがごとく生けることで、その美を楽しむ草花。ところが蔓系植物は他の植物と絡まり、野山ではその姿をはっきりと見ることはできない。手に入れて花器に生けることで、初めて凛とした姿を現す。その掬い取り方は『みたて』ならではのもの。花器を掛けたのは、和紙で表情をつけたシンプルな壁。周りの余白があしらいの存在感を際立たせている。
ちなみにアオツヅラフジの実の中には、自然の造形美がもうひとつ隠れている。果肉を取り除いた中から現れる種子は、まるでアンモナイトの化石のよう。ほんの数ミリの種子に広い世界を見るようで、枯れた後もまた楽しみが潜んでいる。
photo : Kunihiro Fukumori edit & text : Mako Yamato
*『アンドプレミアム』2018年1月号より。
花屋 みたて
和花と花器を扱い、四季の切り取り方を提案する京都・紫竹の花屋。西山隼人・美華夫妻がすべてを分担し営む。