真似をしたくなる、サンドイッチ
果汁の染み込んだパンに浸かりたい!はちみつとバターたっぷりのオープンサンド。季節のタルティーヌでめぐるフランスの風景。Vol.4February 28, 2025

本誌『パリのサンドイッチ調査隊』、ウェブ『真似をしたくなる、サンドイッチ』の連載番外編。パリ郊外にあるファーム・レストラン『ル・ドワイヤネ』では、食事を予約すると泊まれるゲストルームの、朝食でしか味わえないタルティーヌがあります。番外編では、パリでは決して出合えないであろう、採れたての野菜をのせた、季節のタルティーヌにまつわる便りをお届け。今回は第4回、最終回です。
ついに始まったランチ営業。
11月下旬、『ル・ドワイヤネ』では、これまでは土日限定だったところ、金曜のランチ営業がついに始まりました。私がいつもタルティーヌの取材に訪れていたのは、金曜の朝。そのお知らせを受けて、これまでよりも少し早く行くことになったのです。日の出直後、空が刻々と色を変えるなか、電車に1時間揺られて郊外へ向かうのは、まさに旅気分でした。


2024年11月29日
家を出るときには1℃だった朝。前回11月のはじめに訪れた日に、冬の主役になるんじゃないかと思っていたポロネギがすでに具材として登場していたので、「今日は一体何のタルティーヌだろう?」と、とても楽しみにしていました。菜園の作物を脳裏に浮かべ、芽キャベツとかケールとかかなぁと想像していたら、着いたそばから「今日はこれ」と見せられたのは、なんと鯖。野菜はクレソンでした。
クレソンはともかく、鯖は、本当にまったく、私の頭にはチラリともよぎらなかった素材で、思わず唸るような声が出てしまった。果たしてグリルするのか、それともすでにコンフィになっているのか、身は崩さずに使うのか、はたまたフレークか? すると、下ごしらえされて出てきた鯖は、火を通していない状態でした。これまた、本当に思いもよらなかったなぁ。盛り付けるところを見せてもらったら、実に美しい……。夏の終わりのイチジクのタルティーヌにもかなりときめいたけれど、あのときめきは“キュンキュン”で、今回はどちらかというと、“どきどき”したような。
いつもの自家製パンに、クレーム・クリュ(無殺菌生クリーム)、クレソン、その上に鯖、そして最後にセドラのスライス。セドラは、英語ではシトロンと呼ばれ、レモンが大きくなったような、でもミカン科という柑橘の果物のこと。好奇心が膨らみつつ、鯖の上にレースのヴェールのごとくかけられたそれがロマンチックで、食べるのがもったいない気もしました。
鯖はレモンのコンフィでマリネして。
ものすごくおいしい。頭も心もポンっとどこかへ持って行かれて、思考停止に陥った感じでした。もう今はおいしさに身を任せようと無心で頬張っていたら、作ってくれたビアンカが「ちょっとしょっぱくなかった?」と聞きにきました。「いや、おいしすぎる」と伝えると、良かった!と安心していたけれど、実際、レモンのコンフィで1時間ほどマリネしたという鯖は身が軽く締まり、塩気も酸味も目立つことはなく、とてもいい塩梅だったのです。作ってもらったばかりなのに、鯖寿司くらいの味のまとまり方で、鯖の旨みとセドラの爽やかな酸味が噛むごとに合体してジュワッと舌の側面に染み込んでいく……。思い出して、今また食べたいくらい。
帰り道、余韻を楽しみながら、このタルティーヌが成り立つのはパンに力強さがあるからだ!と思いました。噛めば噛むほど味わい深いクラスト(パンの表皮)と、生地の弾力。それに、切り方の厚みもちょうど良くて。これらがあってこそ、な気がする。たまにピリッとくるクレソンの存在も大きかったなぁ。
2024年12月20日
冬至直前で、日の出時刻は8時39分。ちょうどそのタイミングで電車に乗って向かうと、パリを出てすぐに見えてきた戸建の屋根はどこも白く、霜が降りているようでした。
「今日は、これだけ」と用意されていたのは、アボカドとレモン。材料が2つだけということよりも、私が驚いたのは、アボカドです。通常フランスで見るアボカドは輸入もの。でも『ル・ドワイヤネ』が、どこか遠い国で栽培された果物を使うとは考えにくい。だとしたら、これはどこから? 聞いてみると、スペインとの国境に隣接したルシヨン地方の生産者が作っているそうで、レモンも、前回のセドラもそこから来ていると教えてくれました。
そのとき、はたと気づきました。アボカドの季節は冬なのか!と。私、知りませんでした。というよりも、旬の季節があるかどうかさえ考えたことがなかったかも。そして、フランスで栽培できることも知らなかった。恥ずかしい……恥ずかしいけれど、途端に楽しみにもなりました。なぜって、フランス産の旬のアボカドを食べるのは初めてだったから。

アボカドはバターのようにクリーミー。
メイヤーレモンは皮を使い、エシャロット、チャービルと合わせてソースに。そこへ、オリーブオイルとヴェルジュ(未成熟のブドウ果汁)を加え、至ってシンプルなタルティーヌの出来上がり。食べ終わったあとに、皿に残ったオイルを指で拭って舐めてみました。そうしたら、ほとんど塩の味がしなかった。しっかりした味付けは何もしていないように思いました。おそらく素材の持ち味と全体のバランスが全てを形作っているのではないかなぁ。
アボカドは、以前リゾート地、シャモニーの山のマルシェで買ったバターを思い出しました。サラッとしていてクリーミー。アボカドっていつまでも口の中にいるようなイメージがあったのですが、これはまさに口溶けがいいという印象だったんです。一見、目新しさはないからこそ、より一層、作る人の技量とセンスが顕れてここで食べることの価値を感じたひと皿でした。

2025年1月17日
この連載で訪れるのは、今日がいよいよ最後。菜園の土は霜が降りて「もう何も収穫できるものはないよ」と漏らすほどの寒い日で、こんな日によく来たね!とスタッフに驚かれましたが、こんな機会でもないと逆に、冬の畑に足を踏み入れることはないだろうと、作物を見て回りました。作業をしないから言えることかもしれませんが、美しかった。鶏たちにも挨拶をして、レストラン棟に戻りました。
最後の主役は、ポメロ(ブンタンの一種)とブラッドオレンジでした。いつものパンをトーストしてバターを塗り、フロマージュ・ブランを広げる。そしてポメロのコンフィを満遍なく置いたら、フレッシュなポメロとブラッドオレンジをその上に散らすように盛り付けます。ハチミツをひと匙、ヘーゼルナッツを数粒、全体にオリーブオイルをふりかけて、仕上げを。

柑橘類の果汁とコンフィの汁、ハチミツ......。
はじめは、パンがカリっと香ばしい状態で食べて、もちろんそれもおいしかったのですが、メモを取るのでしばらくそのまま置いておいたら、コンフィの汁とハチミツと果汁が合わさってパンに染み込み、パン・ペルデュのようになっていました。これがとんでもなくおいしかった。食べ終わりたくない、と思うほどに。
春の終わりからハッとしたり、思わず唸ったり、放心してしまったり、キュンキュンしたり、『ル・ドワイヤネ」』のタルティーヌには毎度心を動かされたけれど、12種類を食べて、最後のこれがいちばん、食べ終わりたくなかった。果汁の染み込んだパンに浸かりたい気分でした。本当に、本当においしかったのです。
この日、スタッフと言葉を交わすたびに「今日で最後だよ」と伝えたら、「なんで今日で最後なの?」「本当に今回で最後なの?でもきっとまた近いうちに来るよね?」などと、次々に言われて、感慨深かったです。一つの店に、半年以上、定期的に取材に訪れた経験はこれまでになかったし、たとえそれが挨拶だったとしても、こんなふうに言ってもらえるのは感謝でしかありません。シンプルな「なんで、今回で最後なの?」という問いかけは、私の中で新鮮な驚きがあって、帰り道、色々と考えました。
この連載は今回で終わりますが、別の形での"訪問"が、春の訪れとともに新たに始まるって予感がなんとなくするような……。それにしても、楽しかったなぁ!
【今回のスケッチメモ】
『Le Doyenné』
木19:00〜22:00 金土日12:00〜22:00 月火水休 ☎︎0658802518
この記事は、Vol.4です。Vol.1〜3はこちらから。
文筆家 川村 明子
