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リカバリー動画はあまりにうまそうだ。連載コラム : 山内朋樹 #1December 03, 2024

リカバリー動画はあまりにうまそうだ。 山内朋樹 #1

いま、もっともうまそうに飲食を語るのは、そしてそのうまさが真実だと思わせるのは、計量後の格闘家たちではないだろうか?

弁当をかき込む煉獄杏寿郎のように、一切の修辞抜きに「うまい」「うめえ」「うまー」をただ繰り返す、あの「リカバリー動画」とでも言うべきジャンル——朝倉未来や朝倉海に代表されるような——のことだ。

長い節制と強度の高いトレーニング、前日の水抜きや塩抜きを乗り越え、計量をクリアした直後に飲むOS-1やポカリスエット、満を持して口に運ばれるお粥や雑炊、うどん、うな重。極限状態の彼らは、とりわけ初の固形物をひとくち口に含むと一様に目を細め、黙って何度も頷き、ときに笑みをこぼし、溜息をついて、飢餓状態の体に必須成分を染みこませる。

その、あまりの、うまそうさ。

彼らが活躍しはじめる以前、食レポでは彦摩呂の「宝石箱やー!」という言葉が流行していた。味わいや香りを伝えることを戦略的に放棄したその輝かしいマニエリスムは、ほとんど内実を欠いた修辞の頂点に達していた。こうしたテレビ的修辞を剥ぎとり、すべてを白日のもとに晒そうとする本音主義としてYouTuberたちは現れた。

もちろんリカバリー動画は食レポでも商品や店舗の紹介映像でもない(だから本来「宝石箱」と比べるべきは彼らの「案件」レポかもしれない)。けれども、ぼくたちがあの動画のうまそうさに疑いえない透明な真実を見てしまうとすれば、格闘家としての彼らが、飢えと渇きを示すこけた頬、渇いた唇、薄皮一枚で隔てられた筋肉といった身体を見せつけているからだし、YouTuberとしての彼らが日常を強調し、疑わしいものは検証し、日々をなかばリアリティショーとして提示してきたからだろう。

誰かが試合をするたびにアップされるリカバリー動画を見ながら、言外に「そのままさ」あるいは「あからさまさ」をつくりだす、透明性の修辞について考えている。

*500文字程度のエッセイを12月に週1回、計4回連載することになった。けれども書きはじめてみるとすぐに数千字になってしまったので、とりあえず気になっているモチーフを4回にわたってスケッチしてみる。

edit: Sayuri Otobe


美学者・庭師 山内朋樹

1978年兵庫県生まれ。京都教育大学教員・庭師。専門は美学。在学中に庭師のアルバイトをはじめて研究の傍ら独立。制作物のかたちの論理を物体の配置や作業プロセスの分析から探究している。著書に『庭のかたちが生まれるとき』(フィルムアート社、2023年)、共著に『ライティングの哲学』(星海社、2021年)、訳書にデレク・ジャーマン『デレク・ジャーマンの庭』(創元社、2024年)、ジル・クレマン『動いている庭』(みすず書房、2015年)。

researchmap.jp/yamauchitomoki

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