真似をしたくなる、サンドイッチ
ブルーチーズとチェリーのバゲットサンド。:真似をしたくなる、サンドイッチ Vol.30July 01, 2023
サンドイッチをこよなく愛するパリ在住の文筆家、川村明子さん。『&Premium』本誌の連載「パリのサンドイッチ調査隊」では、パリ中のサンドイッチを紹介しています。
ここでは、本誌で語り切れなかった連載のこぼれ話をお届け。今回は、本誌No116に登場した『オルガ』で惜しくも紹介できなかったサンドイッチの話を。
こんなにお洒落なサンドイッチ、出合ったことない!
びっくりした。具は2つしか入っていない。でも、圧倒的だった。おいしいだけじゃない。洒落てる。口の中で合わさった味わいを、体の隅々まで行き渡らせて、全身でおいしさを確認して、記憶に刻み込みたい。そう願って、飲み込むのをためらうほどだった。最終的に飲み込んで、半ば呆然としながら吐いた息は、鼻から出た。舌の上に留まっていた旨みの残像を逃しまいと、無意識のうちに、私は固く口を閉じたままでいた。有無を言わせないおいしさだった。
シンプルで飾り気がなく、それでいて艶やか。
口元から少し離し、そのサンドイッチをまじまじと見ながら、有無を言わせないおいしさって何だろうと、自問した。代わりがない、かけがけのない味、だろうか。定期的に足を運ぶ大好きなビストロのデザートが、ぽっと頭に浮かんだ。「あ〜、なんか、似ているかもしれない」。その店のデザートを前にすると、「こんなふうになりたいよなぁ」といつも思う。憧れの女性みたいな存在だ。私にとっては圧倒的で、だからか、目の前にすると脱力し、素直になれる。シンプルで飾り気がなく、それでいて艶やか。誇張のないおいしさ。見せかけじゃない。同じことを、『オルガ』のサンドイッチに感じた。すっぴんに赤いリップを塗った、それだけで最高に魅力的な女性みたいだった。
ブルーチーズにチェリーを加えて。
その日、サンドイッチは2つ買った。一つは、ブルー・ドーヴェルニュ(オーヴェルニュ地方のブルーチーズ)にチェリーを加えたもの。もう一つは、アルザス産のピスタチオ入りソーセージとブッラータチーズの組み合わせ。いずれも、バゲットサンドだ。ブルーチーズのほうから食べた。2種類入ったチェリーはいずれもフレッシュではなく、漬け込んであり、色味が少し異なった。黒いものはわずかにビターな甘酸っぱさで、ミルクチョコレートくらいの茶色のほうは酸味が立ち、それゆえかスライスされていた。挟んだ具材以外、味付けの要素は何も加えられておらず、チェリーに染み込んでいる液が調味料の役割も果たしている。
たとえばブルーチーズがゴルゴンゾーラだったなら、ドルチェとして想像できると思った。ゴルゴンゾーラのアイスにチェリーやベリー系を加えたものはおいしい。でも、それがブルー・ドーヴェルニュに取って替わられた途端、未知の味となり、さらにバゲットで挟まれると、一気にクリエーションが高度になる気がした。それを『オルガ』のオーナー、カミーユに伝えたら、「これはオリジナルじゃない」と言うではないか。
フレンチとチャイニーズを融合させた料理を提供するレストラン『ヤムチャ』の姉妹店で、中国茶とオリジナル包子(パオズ)の店『ブティック ヤムチャ』のメニューに、スティルトン(イギリスのブルーチーズ)とアマレナ(イタリアのシロップ漬けチェリー)を具にしたものがある。カミーユは、それを初めて食べたときにあまりのおいしさに衝撃を受けたらしい。それで、サンドイッチでも作ってみた。彼女にとってこの組み合わせは、考案したシェフ、アデリーヌへのオマージュで、シーザーサラダのように名前をつけたいくらいだ、と言った。
元々はチーズとワインの店に、サンドイッチが。
『オルガ』は、11区でナチュラルワインに小粋なつまみを出す人気のワインバー『ラ・ビュヴェット』が、この3月にオープンしたチーズとワインの店だ。『ラ・ビュヴェット』が開店から10年を迎えたのを機に、「新たなスタートを切りたい」「夜だけではなく、昼の顔も展開したい」と思い描いていたことが、レトロなコンフィズリーの看板を保つ今の物件に巡り合って、実現した。リヨン駅の目前というロケーションだった偶然も手伝って、チーズを揃えたワインバーという顔に、サンドイッチが加わることになった。
カミーユが店で出したいと思ったのは、サンドイッチというよりはむしろ“軽食”を意味するカス・クルート(casse-croûte)だ。最近は言葉自体見かけることが少なくなったけれど、以前は、ハムやチーズを挟んだだけの簡単なサンドイッチ、そしてランチに持っていくお弁当のサンドイッチも、カス・クルートと呼んだ。家で作るものであれば、冷蔵庫にある何かのジャムにチーズを数枚。ハムもあったら豪勢だろう。
それが元になっているから『オルガ』のサンドイッチはさりげない。同時に、惜しみない。30年前にノルマンディー地方に移り住んだというオランダ人の作り手によるゴーダチーズを挟んだサンドイッチには、水分を限りなく飛ばしたリンゴのペーストがたっぷり塗られ、クリーミーなブリヤ・サヴァランを主役にしたら、その持ち味を保つべくピクルスもジャムも加えないで、フレッシュなクレソンをこんもりと挟む。土台となるバゲットも、有名などこどこのブーランジュリーではなくて、近所のふだんづかいの店から買ってくる。徹底してシンプルだ。でも、シンプルだからこそバランスがものを言うし、誰でもが真似できるおいしさじゃないと思う。やっぱり、すっぴんに赤いリップの魅力、もしくは、ジーンズにTシャツだけのかっこよさに通ずると思うんだよなぁ。