真似をしたくなる、サンドイッチ
心を惑わす、オレンジの香り。
白インゲン豆のオープンサンドを。真似をしたくなる、サンドイッチ Vol.10November 01, 2021
サンドイッチをこよなく愛するパリ在住の文筆家、川村明子さん。『&Premium』本誌の連載「パリのサンドイッチ調査隊」では、パリ中のサンドイッチを紹介しています。
ここでは、本誌で語り切れなかった連載のこぼれ話をお届けします。
今回は、本誌No96に登場した『キャピタル』で惜しくも紹介できなかったサンドイッチの話を。
朝ごはんにぴったり。"ちょうどいい塩梅"のクロワッサンドウィッシュ。
ほんの半年ほど前は、料理一皿をそのまま挟んだような具だくさんのサンドイッチが次から次へと登場していた。ところが、近ごろ新たに見かけるようになったのは、具材がすべて表面から見て取れる、とてもシンプルなものだ。そのどこかにはちゃんとオリジナリティが潜んでいて、かつ、食べ応えもしっかりあったりする。
パリ19区と20区にまたがる中華街・ベルヴィルから、さらに北東のビュット・ショーモン公園へと向かう途中。7月にオープンした『キャピタル』は、朝9時半から開いているカフェで、軽食も、カクテルも楽しめる。だから、夜に重きを置いた店かと思いきや、閉店は17時30分。人が押し寄せるランチタイム前の午前中が、とても気持ちよくて、自宅からかなり遠いにもかかわらず、PCを持って出かけたくなる店だ。
それは、"ちょうどいい塩梅"のサンドイッチの存在があるから、かもしれない。最近は少し変わってきたものの、基本的にフランスの朝ごはんは甘いものが中心だ。あえて挙げるなら、パンと有塩バターには塩気があるけれど、チーズだったり、サラダだったりは、リュクスなホテルの朝食にでも足を運ばない限り、選択肢として出てこない。「甘いものは要らないなぁ」という気分の朝に、コーヒーと塩味の何かで小腹を満たしたい欲求を叶えられる場所は、家以外、パリではとても少ないと思う。だからと言って、ランチを少し早めの時間から提供する店に行き、遅めの朝ごはんとしてランチメニューを頼むといきなり量が多い気がしてしまう。
そんなわがままに、実に"ちょうどいい塩梅"でピタリとはまったのが、本誌No96で紹介した『キャピタル』のクロワッサンドウィッシュだった。正直、お昼ごはんとして食べるなら、少し物足りない。ポタージュかサラダを添えたくなるボリュームだ。でも、量も塩気も、クロワッサンの生地の軽やかさやチーズの風味も、朝10時〜10時半くらいに食べるのには、なんともいい具合なのだ。ほんのり香りを効かせたカモミール入りのコーヒーを合わせるのがすっかり気に入っている。
オレンジの香りに心掴まれる、
白インゲン豆のオープンサンド。
白インゲン豆のオープンサンド。
もう一つ、この店でぎゅっと心を掴まれたオープンサンドがある。初めて頼んだときに、皿が運ばれて来ると、ぷわ〜っとオレンジが香った。見えるはずのないその香りの道筋を、思わず目で辿ろうとしてしまったくらいにいい匂いで、ぐわんと体をベンチ型シートの背もたれに投げかけ、つかの間放心した。テーブルに置かれた皿にパンの姿は見えず、こぼれ落ちんばかりに白インゲン豆が盛られていた。
バターで和えた旬のグリーンピースを思いっきり頬張りたくて、食パンのトーストに盛ってかぶり付く(豆がこぼれ落ちるからちょっとパンを折る)、ということを私は毎シーズンする。けれど、グリーンピースよりもお腹が張る印象の白インゲン豆を、サンドイッチのメインの具に据えるとは思い付いたことがなかった。気前よく盛られた白インゲン豆は、ちょうどグリーンピースと入れ替わるように季節が始まる、夏から秋にかけてが旬の、ブルターニュ地方で収穫される「ココ・ドゥ・パンポル」だ。
放心させるほどの香りのありかは、オリーブオイルとオレンジとチャービルだった。
オレンジのフレッシュな甘みがオリーブの青み、オイルのとろみ、さらにアニスを思わせるチャービルのほのかな甘みと合わさると、こんなにも心を惑わす芳香になるのかと、本当に驚いた。オレンジゼストが削られていることで加わる苦味も効力を発揮しているのだろう、どこかネロリを思わせる。
香りにすっかりドキドキしながら、いざナイフを刺すと、しっかりした焼き色のパンの皮は厚みもあり、見た目以上に力強くて、文字通り歯が立たない。少しずつ刃を動かし、どうにかひと口分を切り離して食べたら、切っている時に感じたパン生地の弾力を口の中でも確認した。とてもおいしい。でも、予想していなかった何かがある。何だろうこれ、と切り口をじっと見つめて、気づいた。
パンの底、皿にくっついている側がオイルに浸っている。逆に、上部、具が乗っている側にはオイルが染み渡っていない。もし上からオイルを塗るなりかけるなりしていたら、下まで浸透して全体的にオイルを感じただろう。でも、リコッタチーズがコーティングの役割を果たすかのようにパンの上部にはオイルが浸っていないおかげで、パン自体の味わいと生地の弾力をダイレクトに感じ、同時に、オイルを纏って香ばしいもう一つの味も楽しむことができたってわけだ。
対して、具材はいずれも風味の強いものではなく、チャービルは繊細で、白いんげん豆も淡白。それにオレンジ+オリーブオイルの甘くほろ苦い香りが加わって可憐な印象だものだから、オープンサンドの上半分と下半分でコントラストがくっきりで、一度で二度おいしいような気がした。口の中を満たす味わいと鼻に立ち上る香気に包まれ、本当に「ごちそうさまでした」の気持ちでいっぱいになった。
実は、ドキドキするほどに香りに魅了されたオレンジベースの味付けは、シェフのエリーズが柚子胡椒に発想を得て、独自のレシピで作るようになったものだ。材料は限りなくシンプルで、オレンジとチリをオリーブオイルで漬け込んだだけ。
これ、ジャガイモやカブ、それにたぶん、鱈にも合うと思うのだ。これから柑橘の季節が始まるし、時間を見つけて私も漬けてみたい、なんて今思っている。