河内タカの素顔の芸術家たち。
木版画の世界で独自の境地を拓いた棟方志功【河内タカの素顔の芸術家たち】Shiko Munakata / October 10, 2023
木版画の世界で独自の境地を拓いた
棟方志功
版画を彫っている棟方志功の動画を観て、衝撃を受けたことがあります。というのも、床に置いた版画の板に黒いメガネを擦り付け、鼻歌を口ずさみながら一心不乱に彫刻刀を走らせる鉢巻姿のその姿には、まさに鬼気迫るものがあったからです。棟方は幼少時に囲炉裏の煤(すす)が原因で弱視となり、度の強いメガネをかけても近くのものが見えにくかったというのがその理由なのですが、彼の強烈な制作の様子は僕の脳裏に長く刻み込まれることになりました。
青森の鍛冶屋の三男坊として生まれた棟方は、子供の頃から絵が好きで画家を目指して上京したものの、極度の近眼のため奥行きのある構図を描けず行き詰まっていました。そんなある日、版画家の川上澄生の木版画と出会い、彼はすっかり心を奪われてしまいます。「子供の時から憧れだったファン・ゴッホが収集し熱心に研究していたのが浮世絵だったわけだし、版画こそ日本の芸術ではないか!」と確信し、かねがね日本独自の作風を追究したかった棟方は木版画の制作に没入していくようになります。
平塚運一に木版を学び展覧会にも出品し続けた棟方は、最初こそ川上の影響が感じられたものの、25歳の時にとうとう日本創作版画協会展に初入選を果たします。「版画の本質的な美とは白と黒のバランスから生まれる美しさである」と考え、画面いっぱいに広がるダイナミックな構図に加え、文字を画面に入れ込んだ棟方独自のスタイルを確立していきます。また、白と黒だけでは表現し切れないと感じた時には、摺りあがった版画紙の裏側から絵具で彩色する「裏彩色」という技法を使い、版画の線を生かしながら淡い色使いの作品も多く残しました。
1942年 (当時39歳) からは自らの木版画を「板画」と呼ぶようになり、他の創作版画との差別化を図るようになります。この言葉には単に板を彫るだけでなく、板の木目や起伏など木のことを深く理解した上で制作しなければならないという想いがあったそうですが、それを作品に取り込むことで、木の生命力を感じさせる独創的な版画作品を展開していくようになります。
さて、棟方といえば忘れてならないのが民藝運動との関わりです。実は僕が棟方に最初に興味を持ったのも日本民藝館の『大和し美し(やまとしうるわし) 版画巻』という作品がきっかけでした。その作品が1936年の国画会展の際に濱田庄司の目にとまったことで、棟方は民藝運動の主導者であった柳宗悦との知遇を得ることとなったのです。棟方の良さをすぐに見抜いた柳は、同作品を開館を控えた日本民藝館の所蔵作品として購入。上京から12年目にして初めて自分の作品が売れた、棟方にとって記念すべき出来事でした。さらに柳を通じ河井寛次郎を交えた民藝運動の指導者らと交流していく中、仏教や古典文学の知識を深めそれに伴った主題が増えていき、それがやがて独自の表現に行き着くこととなるのです。
1945年5月の東京大空襲で自宅が焼失した際に多くの板木も失われたものの、棟方の旺盛な制作活動はまったく衰えを見せず自分の世界観をさらに追求していきました。その結果、1955年の「第3回サンパウロ・ビエンナーレ」で版画部門最高賞を受賞、また翌年の「第28回ヴェネツィア・ビエンナーレ」では国際版画大賞を受賞。1959年にはロックフェラー財団とジャパン・ソサエティの招きにより渡米し各地で個展を開催したことで、「世界のムナカタ」と謳われるほど20世紀を代表する世界的な芸術家となっていったのでした。
展覧会情報
「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」
会期:開催中〜2023年12月3日
会場:東京国立近代美術館
住所:千代田区北の丸公園3-1
https://www.munakata-shiko2023.jp