河内タカの素顔の芸術家たち。

東京の日常風景を美しく切り取るヴィム・ヴェンダース【河内タカの素顔の芸術家たち】Keith Haring / February 10, 2024


ヴィム・ヴェンダース Wim Wenders
1945 – / DEU
No. 123

映画監督、ドイツ・デュッセルドルフに医者の息子として生まれる。映画評論家としてキャリアをスタートし、1970年に16ミリで撮った『都市の夏』で長編映画監督デビューを果たす。『都会のアリス』『まわり道』『さすらい』のロードムービー三部作によってニュー・ジャーマン・シネマの旗手として注目され、米国での苦い経験を反映させた『ことの次第』でベネチア国際映画祭の金獅子賞を、『パリ、テキサス』でカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞。『ベルリン・天使の詩』で監督賞を獲得。ドキュメンタリー作品にも定評があり『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』がアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされた。

そして役所広司は平山になった
ヴィム・ヴェンダースの『PERFECT DAYS』

 この連載で映画監督のことを取り上げるのは初めてなのですが、先日鑑賞した『PERFECT DAYS』があまりにも良かったので、この作品の監督であるヴィム・ヴェンダースのことを今回は書こうと思います。ヴェンダースはドイツ人ながら、小津安二郎の『東京物語』の舞台となった東京の日常風景を収めた『東京画』(1985年)という映画を過去に制作しており、他にも山本耀司のパリ・コレクションの準備過程を紡いだ『都市とモードとビデオノート』(1989年)などでも知られています。

 今回の作品も現代の東京を舞台にした日本人キャストによる映画なのですが、昨年のカンヌ国際映画祭のコンペティションにおいて主演の役所広司が男優賞を受賞したことで、その注目度が一気に高まったという背景がありました。この映画で描かれているのは、平山という一人のトイレ清掃員です。仕事中も、そして仕事が終わってもあまり言葉を発することはなく、孤独を好む世捨て人のような生き方をしています。ちなみにですが、この平山という名前は『東京物語』で笠智衆が演じた平山周吉と同じです。

 そんな平山の淡々とした日常をドキュメンタリーのように追ってストーリーは進んでいくのですが、実は平山が同じように繰り返される生活を自ら進んで選び、それを大事にしながら一日一日を営んでいるということが分かってきます。そこには悲哀や侘しさはなく、それどころか不思議と生きる喜びというものが伝わってくるのです。ヴェンダースは「役所広司は、監督をする者にとって最高の俳優である。彼こそが俳優である。彼こそが平山であり、この映画の心臓であり、魂なのだ。この映画を通じて私たちはゆっくりと平山の視線や生き方を受け入れていく。彼の目を通してこの世界をみつめる。そうすることで彼が選びとった人のために生きるというその姿に癒しを感じるようになる」(公式カタログより) と語っているほどで、撮影現場で一番近くにいた監督が彼の演技に魅了されていたのは容易に想像できるのです。

 本作品には、平山が聴くカセットテープ音楽、寝落ちする前に読む文庫本、コンパクトカメラで日々撮り続けている木漏れ日の写真が、謎に満ちた平山の気持ちを代弁するように登場します。ヴェンダースは「僕たちは平山が見たもの、平山が聴いていたもの以外、知る必要はない」とまで言及していて、そう言われれば確かにこの映画で役所は役を演じたのではなく、平山その人になったのだなと思えてくるほどです。また、この映画でカンヌへの参加を決めたのも、平山のことをできるだけ多くの人に知ってもらいたかった、満たされた生き方とはどういうものかを考えてもらいたかったからとも語っています。

 それゆえに、この映画がカンヌで高く評価されたのは本当に大きな出来事なのではないでしょうか。でなければ、海外はおろか日本国内でもさほど評判にならなかった可能性だってあったかもしれません。カンヌの審査員の一人は「ヴェンダースの代表作のひとつである『パリ、テキサス』が、より成熟した高いレベルで日本を舞台に再び作り直されたかのようだ。芸術というものの本質を純粋な形で表現しきった作品としてヴェンダース生涯の傑作と呼ばれるだろう」と絶賛していました。

 終盤のシーンの、観る人を引き込ませるような平山の豊かな表情から、ああ、彼のように生きられたらなぁと感情移入してしまう人もいるはずで、ご多分に洩れず自分も同じ気持ちになってしまいました。本年の米国アカデミー賞の国際長編映画賞でドイツではなく日本代表作品としてノミネートされたという嬉しいニュースも入ってきましたし、本作品がヴェンダースにとっても特別なものになることを願いつつ、一人でも多く平山に会いに映画館へ行っていただけると嬉しく思います。

Illustration: SANDER STUDIO

『PERFECT DAYS』東京・渋谷を舞台にトイレの清掃員の男が送る日々の小さな揺らぎを描く。全国大ヒット上映中。ⓒ2023 MASTER MIND Ltd.


文/河内 タカ

高校卒業後、サンフランシスコのアートカレッジに留学。NYに拠点を移し展覧会のキュレーションや写真集を数多く手がけ、2011年長年に及ぶ米国生活を終え帰国。2016年には海外での体験をもとにアートや写真のことを書き綴った著書『アートの入り口(アメリカ編)』と続編となる『ヨーロッパ編』を刊行。現在は創業130年を向かえた京都便利堂にて写真の古典技法であるコロタイプの普及を目指した様々なプロジェクトに携わっている。この連載から派生した『芸術家たち 建築とデザインの巨匠 編』(アカツキプレス)を2019年4月に出版、続編『芸術家たち ミッドセンチュリーの偉人 編』(アカツキプレス)が2020年10月に発売となった。

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