河内タカの素顔の芸術家たち。
河内タカの素顔の芸術家たち。
E・J・ベロックThis Month Artist: Ernest James Bellocq / December 10, 2019
密室で撮られた謎のポートレート
E・J・ベロック
優れたポートレート写真というのは写真家とモデルの緊密な共同作業なしには生まれない。アーネスト・ジェームス・ベロックというニューオーリンズ生まれの写真家が撮った女性たちのポートレートは間違いなくそのひとつであり、被写体たちの心の内や感情さえもうかがい知ることのできるほど優れた写真作品です。
ベロックが撮った写真、というか現存しているのは大人の女性のポートレートしかありません。それも密室においておそらく一対一の関係で撮られたような写真しか残っていなく、しかもそれらの多くが全裸であったり下着姿だったりするのです。なぜだと思います? それは撮られた女性たちの多くが娼婦たちだったからで、おそらくこれらの写真は他人に見せることを前提として撮られていなく自分だけが楽しむものとして撮られていたようなのです。
この無名の写真家、つまりE・J・ベロックに関しての記録はあまり残っていなく、生まれ育った地元で船や機械などを撮影するような仕事をしていたという簡単な記録が残っているくらいです。生まれながら身体に障害があり、身長も150センチほどしかなかったため(画家のロートレックを想わせますね)、おそらく彼女たちたちからもさほど危険を感じられなかったのか、ベロックの撮った女性たちの写真は妖艶なというより、どこか少女のごとく可愛く微笑みを浮かべ、その表情はみな一様に無邪気で穏やかなのです。
実はこれらのモデルになった女性たちの素性や名前さえも分かっていなく、人の目に触れることはないという約束のもとで撮られていた写真であったのですが、ベロックの死後、住んでいたアパートのソファやベッドの下から乾板ネガの束がごっそり見つかり、それがやがて日の目を見ることになっていったというわけです。
1951年にニューオーリンズを訪れた当時まだ新進の写真家であったリー・フリードランダーが、地元のギャラリーで行われたジャズ演奏の後に、そこのオーナーから「面白いものがあるんだが、ちょっと見てみるかい?」と箱の中に入った古いガラスのネガを見せられたというのです。ホコリだらけでそのいくつかには引っかき傷があったりヒビが入っていたりしたものの、フリードランダーはそれらを一目見るなりそのレベルの高さに驚き、結局その場で89枚すべてのネガを買い取ることにしました。
フリードランダーはそれらをニューヨークに持ち帰り、ベロックが生きていた時代のやり方でプリントを焼いていき、ある日思い立ってMoMAの写真部門のディレクターで、優れた目利きでもあったジョン・シャーカフスキーに見せるや、「すばらしい、この人物の写真展をやろうじゃないか!」と即決。1970年に晴れて『Storyville Portraits(ストーリーヴィルで撮られた肖像写真)』と題され、すでにこの世にとっくにいなかったベロックの初の個展が開催されるに至ったのです。
謎に包まれた写真家によるセンセーショナルな被写体ということでこの展示は大きな話題となり、その時に会場に足を運んだ小人やフリークスといったアウトサイダーな人々を撮ったダンアン・アーバスや、異形のモデルや悪趣味ともとられかねないグロテスクな作品で知られるジョエル=ピーター・ウィトキンにも大きな影響を及ぼしたことは間違いないはずです。
過去に埋もれていた名もなき写真家が、ある日を境に忽然と世に広く知れ渡っていき、裏社会で生きていた女性たちもまた写真の中で魅力的なポートレートとして生き続けることになった……。それもこれもフリードランダーとシャーカフスキーとの出会いがなかったならば、ベロックと彼の写真はこれほどまで表舞台に出てくることはなかったかもしれず、写真の歴史というのがこのような出会いや巡り合わせによって生まれたことになにか目に見えない不思議な赤い糸のようなものを感じてしまうのです。