河内タカの素顔の芸術家たち。

河内タカの素顔の芸術家たち。
リー・クラスナーThis Month Artist: Lee Krasner / May 10, 2020

LeeKrasner
Lee Krasner / リー・クラスナー
1908 – 1984 / USA
No. 078

ロシア系ユダヤ人移民を両親に持ち、ブルックリンに生まれる。10代の頃からすでにアーティストとしてのキャリアを積み始め、29歳からはハンス・ホフマンの絵画クラスで学ぶ。1942年に行われたグループ展においてジャクソン・ポロックと出会い、それ以降生活と制作を共にする。1945年にはニューヨーク郊外に引っ越しアトリエを構える。1956年にポロックが事故で亡くなった後も変わらず制作を続け、のちにMoMAで回顧展を行った数少ない女性アーティストうちの一人となった。

ポロックの影で葛藤し続けた女流画家
リー・クラスナー

 「ジャクソン・ポロックの奥さんとしての知られる画家」……と書いてしまうとなんだか失礼な言い方に聞こえるかもしれませんが、この人を紹介するためにはポロックのことを語らないわけにはいきません。リー・クラスナー、本名をレナ・クラスナーといい、ウクライナからの移民の子どもとしてブルックリンに生まれました。ちなみに「リー」は一般的には男性名であって、レナではなくあえてそう自分を呼ばせたのも、白人男性主体の当時のアート界において生きていくための彼女なりの手段だったのです。

 ポロックと出会う以前、クラスナーはハンス・ホフマンというヨーロッパの著名な画家が開いた私塾(チャールズ・イームズの奥さんとなるレイ・カイザーも同じ頃にホフマンのクラスを受講していた)で、美術史や最新の欧州絵画の動向について豊富な知識を得ながら、キュビズム様式での女性のヌードや自然からの抽象化などをいち早く試みていました。

 そんなクラスナーがポロックと出会ったのは1942年のことでした。ニューヨークのマクミレン・ギャラリーで行われたグループ展に出展した際、同じ会場に展示してあったポロックの作品に興味を持ち、後日、彼のアパートをクラスナーが尋ねたことで2人の関係がスタート。30歳のポロックは自身のスタイルを確立する前だったものの、都会的センスに溢れ、アートについて多くの知識を持っていた4歳年上のクラスナーが、まだ発展途上にあった血気盛んなポロックに及ぼした影響は大きかったはずです。

 ニューヨークから車で約2時間、イーストハンプトン郊外のスプリングスに引っ越した2人は、その年の夏に結婚。天井の高い納屋をアトリエとしたポロックは、まもなくペンキを垂らしたドリッピングによるセンセーショナルな抽象絵画を次々に生み出していくわけですが、一方のクラスナーはというと、母屋にある二人の寝室をアトリエとして、イーゼルを使いモザイクや網目模様のような作品を人知れず制作し、1949年までに40点ほど完成させました。

 当時のクラスナーの絵を見た人がいたとしても「ポロックのペンキの飛び散りを“女性らしく”小さなスケールで解釈した作品であり、夫のスタイルを模しただけにすぎない」と小馬鹿にされ、彼女自身も「まあ、そう見られても仕方がないかな」と思ってしまったのか、作品の多くを破棄してしまいました。しかし、かろうじて残された当時の作品を見る限りでは、豊かな完成や繊細な色彩感覚、さらにポロックとは異なる画面の構成力と緊張感があり、それが正当に評価されなかったことは、ポロックと共にいたことでの負の要素が働いてしまったと思わざるを得ません。

 一方、ドリッピングを使った抽象作品によって一躍スターとなったポロックは、いったんは止めていた酒に再び溺れ、生活も荒れていき絵をほとんど描けなくなっていました。そのため夫婦関係もちぐはぐになり始め、冷却期間を置くためにクラスナーが単身でヨーロッパに渡っていた間に、ポロックは過度の飲酒運転によって大木に激突し亡くなってしまいました。

 クラスナーは渡欧する少し前に、昔の作品を手でちぎって、それをポロックのドリッピングの切れ端と貼り合わせた『禿げ鷲』というコラージュ作品を完成させていました。それは彼女の新しい方向性を示した作品であったとともに、ポロックへの弔いともいえる共作となってしまったわけですが、この作品が大きなきっかけとなり、ポロックの呪縛からも逃れていき、次第に一人のアーティストとして高く評価されるようになっていくこととなりました。

 ポロックの妻であった時代から、今度は自身のアイデンティティをいかに表現するかを葛藤し続けた画家リー・クラスナー。彼女が自分の作品にはイニシャルしか署名しなかったのも、女性としての立ち位置や有名画家の妻としての地位を強調したくなかったからでした。幸か不幸か、ポロックと出会ってしまったばかりに苦難や不遇な時代はあったかもしれませんが、彼のことを最も理解していたのはこのクラスナーであることは疑いなく、だからこそ戦後のアメリカンアートの歴史を作り上げた「共闘者」というポジションをこの画家に与えてもいのではないかと思うのです。

Illustration: SANDER STUDIO

『Lee Krasner: Living Colour』(Thames & Hudson)ヨーロッパで行われた回顧展の図録。リー・クラスナーが作り上げた作品や当時の写真、インタビューなどを通じて彼女について広く知ることができる一冊。


文/河内 タカ

高校卒業後、サンフランシスコのアートカレッジに留学。NYに拠点を移し展覧会のキュレーションや写真集を数多く手がけ、2011年長年に及ぶ米国生活を終え帰国。2016年には海外での体験をもとにアートや写真のことを書き綴った著書『アートの入り口(アメリカ編)』と続編となる『ヨーロッパ編』を刊行。現在は創業130年を向かえた京都便利堂にて写真の古典技法であるコロタイプの普及を目指した様々なプロジェクトに携わっている。この連載から派生した『芸術家たち 建築とデザインの巨匠 編』(アカツキプレス)を2019年4月に出版、続編『芸術家たち ミッドセンチュリーの偉人 編』(アカツキプレス)が2020年10月に発売となった。

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