&EYES あの人が見つけたモノ、コト、ヒト。
子育てと仕事と『色と形のずっと手前で』。写真と文:熊谷充紘 (本屋『twililight』店主) #3October 20, 2025
本を片手に立ち尽くすわたしを、お客さんは迂回して店内を周り続ける。困っているように見えてそっとしてくれているのかもしれないが、わたしの心は何を隠そう、喜びに燃えている。「この本、どこに置こう!?」と。
出版社では、本の企画を立てる時に類書があるかをまずは探すという。類書とは、似ている本や同じジャンルの本のこと。売れているジャンルであれば、新しい本も売れるかもしれないと思えるし、本屋側にとっても、棚が決まっているから入荷したらすぐに並べることができる。
しかし、わたしは棚やジャンルで本を選ぶことはなく、一冊一冊、自分が読みたいか、お客さんに読んでほしいか、という点で本を選んでいる。だから、『twililight』に類書がない本が入荷してくることはよくある。この一冊は新しい種のようだなと思う。この本を棚に並べることで、ああ、これに興味がある人は、あの本にも興味があるはずだと新たな本を仕入れるきっかけになり、だんだんと豊かな枝葉を茂らせていくことになる。そう思うと『twililight』は本の庭なのかもしれない。新たな本の居場所を作ることで、日陰に入ってしまった本を移動し、しっかり光が当たるように、風が当たるように、手入れをしていく。

さあ、この一冊が庭の新たな生態系を作ることになるぞと庭師のような気分でいると、「お忙しいところ、すみません。この本ってありますか?」と声をかけられ、目の前にお客さんの携帯電話の画面が現れる。
「ああ、すみません。今在庫を切らしています」
「そうでしたか、残念。落ち込んでいる友人にあげようと思っていたんです」
「差し支えなければ、ご友人はどのような理由で落ち込まれているのでしょうか」
「子育てと仕事の両立です。もともとデザイナーとしてバリバリ仕事をしていたんですけど、子どもがほしくなって結婚して、5年前に出産したんです。出産して半年くらいで離婚して、ご両親の力を借りながら仕事もまた始めて。でも最近は会うたびに疲れた疲れたって。『疲れるのは当然だよ、無理しないでよ』『うん、でも無理しないと成り立たないんだよね。色んな人が助けてくれるけど、根本的には自分が好きで子どもを産んで好きに働いているわけだから、わたしの勝手なんだよね。だからみんな、どこかで何かを諦めたら楽になるよって思ってる気がする。でもわたしは子どもが大事だし、仕事も好き。やりたいことは本当にたくさんあるけど八方塞がり。疲れちゃったよ』って。どうにか力になりたいけど、わたしには子どもがいないから、どんな言葉をかけても無責任になる気がして」
「なるほど。わたしのちっぽけな想像力ではご友人がどんな本を喜ばれるか、答えを出すことはできません。ただ、無責任と言われるかもしれませんが、それでも読んでいただきたい本はここに1冊あります」
そう言ってわたしは、グラフィックデザイナーの長嶋りかこさんによるエッセイ集『色と形のずっと手前で』(村畑出版)を差し出す。
「子育てと仕事を両立するためにどうすればいいのか、といった本もあると思うのですが、想像するに、ご友人はもう嫌になるほどそんな本を読んだり、アドバイスを受けたりしているのかなと思います。そうではなく、両立がいかに難しいか、無理なものかを当事者の視点でつぶさに書いてくれている本はこれまでなかったのではないでしょうか。著者の長嶋りかこさんはグラフィックデザイナーで、人々の暮らしと地続きであるはずのデザインの仕事と、目の前の家事育児という暮らしの相性の悪さを、一つひとつ丁寧に言葉にしていきます。長嶋さんが子育てと仕事のあいだで立ち往生しながら書いてくれたことで、両立のあいだにはこれまで言葉にされてこなかったグラデーションがあったんだと気づくことができました。両立するか諦めるか、どちらかしかなかった選択肢に、“あいだ”という居場所が生まれた。きっとご友人もその場所でなら、立ち止まって、ひと息つくことができるのではと思います」
人は言葉によって思考する。もし自分の思考が行き止まりだと感じたら、新しい言葉を吸収してみるのがいいかもしれない。言葉が種となり、枝葉を伸ばし、自分の中に、今までなかった思考が実り始める。思考というのもまた居場所なのだ。実を眺めるという立ち止まる時間をもたらしてくれるから。
本屋という庭から、あなたの中の庭へ。わたしは庭師から鳥に姿を変えて、種を運ぶ。
本屋『twililight』店主 熊谷 充紘
