リナ・ボ・バルディ 文/河内 タカThis Month Artist: Lina Bo Bardi / July 10, 2017
サンパウロ郊外の森に中にひっそりと建つ
リナ・ボ・バルディのガラスの家
2014年に生誕100年を迎えたブラジルを代表する女性建築家リナ・ボ・バルディ。といっても、彼女はもともとローマに生まれたイタリア人だったのですが、第二次世界大戦で事務所などが崩壊したことで、美術評論家でディーラーのであった夫のピエトロ・マリア・バルディとともにブラジルへ渡ってきたという経緯がありました。彼女は移住後、ブラジルのモダニズム建築の父として知られるオスカー・ニーマイヤーやルシオ・コスタらと仕事を行い、1951年にサンパウロに住居を構えてからは、同市のランドマーク的ともいえる「サンパウロ美術館」や「SESCポンペイア文化スポーツセンター」などの建築デザインなどを精力的に手がけていきました。
1951年に完成した「ガラスの家」はそんな彼女が設計デザインした自邸で、夫とともに亡くなるまで過ごした場所として知られています。モルンビー地区と呼ばれる木々に覆われたエリアは、今でこそ高級住宅地になったものの、竣工当時は土に覆われた禿山だったところで、彼女はきっとそうなることを計算していたと思うのですが、半世紀以上の年月を経たことによって今では鬱蒼とした緑に囲まれた家になっています。
緑豊かな高台に建つこの家の特徴は、大理石や材木など全てブラジルで調達された資材のみで作られているところです。それは当時のブラジル人たちが欧米の建築やデザインを偏重していたことへの彼女なりのステートメントでもあり、また、山の方に向いた生活空間には伝統的なブラジルの建築様式を取り入れたことも、ブラジルの文化や歌や踊りを愛し続けた彼女が、どこか強い使命感を抱きながら“ブラジルらしさとはなにか”を追い求めた結果として生まれたものだったのかもしれません。
ピロティで持ち上げられた全面ガラス張りの広々としたサロンスペースとモダンで機能的なキッチン、中庭を取り囲むように作られた自然を取り入れた構造、睡眠時間が短かったという夫妻のかなりシンプルな寝室。そして、床に敷き詰められたガラス製のタイルや置かれている「ボール・チェア」(1951)をはじめ、家具のほとんどが彼女のオリジナル作品であり、とにかくそれらが今の目で見てもスタイリッシュで格好いいんですよね。現在、この家は「リナ・ボ・バルディ・インスティチュート」として一般客の見学が可能であるために内装を見学することができるわけですが、さらにここではギルバート&ジョージやリクリット・ティーラワニットなど、現代アーティストたちによるレジデンスプログラムが行われたりしています。
ガラスの家として有名なものとして、フィリップ・ジョンソンの「ガラスの家」(1949)、そしてミースの「ファンズワース邸」(1951)などがすぐに思い浮かぶわけですが、ファンズワース邸と同じ年にブラジルという地においてこの家が造られたことを考えると、このリナ・ボ・バルディという建築家がいかに先駆的な才能の持ち主だったかがよく分かるんじゃないでしょうか。しかもです、現地では「カーザ・デ・ビ—ドロ」と呼ばれている建物は彼女にとって最初の作品だったことも驚くべきことであり、リオデジャネイロ郊外に残されている恩師ニーマイヤー自邸である「カノアスの家」とともにこれからも多くの人々に愛され続けていくのでしょうね。