河内タカの素顔の芸術家たち。
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アンセル・アダムスThis Month Artist: Ansel Adams / November 10, 2019
アメリカの雄大な自然風景を撮り続けた写真家
アンセル・アダムス
同じ風景であっても、早朝と夕暮れ時ではまったく異なった瞬間に出くわしたりしますよね。アメリカ写真界の巨匠と称されるアンセル・アダムスは、自然が時折見せてくれるそんな一瞬の美しい瞬間を撮り、心に長く残る際立ったプリントを数多く残したことで知られている写真家です。サンフランシスコに生まれたアダムスは、14歳の時に家族と初めてヨセミテ国立公園を訪れた際にその圧倒的な自然に感動し、父からプレゼントされたコダックのカメラで撮影を行い、それ以来、ヨセミテ渓谷とシエラ・ネヴァダの雄大な風景を中心に多くの傑作を残しました。
アンセル・アダムスといえば個人的に思い出すことがあって、ぼくはサンフランシスコの美術大学に留学していたのですが、校舎の近くには写真を扱うギャラリーが軒を連ねていて、そこのウィンドウでよく見かけていたのがアダムスの撮ったヨセミテの写真だったのです。日々の通学路だったということもあって、アメリカでは写真というものが絵と同じようにアートギャラリーで展示販売されているんだなぁと驚いたのも、実をいうとアダムスの写真を見たからだったのですが、巨匠と聞かされていたアダムスのプリントでさえも、学生であっても頑張ればなんとか買えなくもない価格だった記憶がおぼろげながらあるんですよね。
ところで、写真家アダムスにはもう一つの顔があって、それは前回登場したエリオット・ポーターとともに熱心な環境保護活動家でもあったということです。17歳の時に自然保護団体「シエラクラブ」に入会し、1934年から1971年まで役員を務め環境保護の活動を続けました。そういうバックグランドもあったため人の手が入る前の汚れのない雄大な自然の姿がドラマチックに写し出されていたともいえるのですが、その多くが「ゾーンシステム」という特殊な写真技法に支えられていました。ゾーンシステムとはグレースケールを11の諧調に分割し、それぞれに最適な露出や現像を決定する技法で、特に中間トーンを精巧に再現することに長けていました。
これに関して有名な話があって、アダムスの代表作として知られている『月の出、ヘルナンデス、ニューメキシコ』(1941年)というのがあるのですが、この写真はニューメキシコ州のとある小さな村の教会と墓地、その背後に雄大に拡がる景観を登り始めていた月とともに撮られたものでした。ハローウィーンの日の夕刻、撮影を終えてワゴン車を運転していてたまたま遭遇した風景に対して、一枚だけ残っていたフィルムをカメラに備えつけ、刻一刻変わっていく劇的な光景が消えてなくなる前に、「とにかく急がなくては」という思いに駆られ勘だけで露出を決めシャッターを切ったそうです。
家にたどり着くやすぐにゾーンシステムを使い忠実に現像してみたところ、ついさっき見た光景とは異なり、全体がグレーがかりぼんやりしたものだったというのです。それでも自分の脳裏に焼き付いているあの神々しい光景をどうしても再現してみたくなり、後日、プリントの束を見直していたら、その中に一枚だけ焼きこんで全体が黒く締まったものが出てきて、「自分があの時見たものはこれだ!」と心を震わせ、そして今度はゾーンシステムに頼らずに焼きこんでみたところ、あの時の奇跡的な風景が印画紙に浮かび上がり、後世に残る傑作がこうやって誕生したというわけです。
「写真は撮るものではない、作るものだ」と常々アダムスは語っていたそうですが、その言葉のとおり、アダムスはストレートな写真にこだわって撮られていたにもかかわらず、そこには自分の心が感じたものを表現するためにあえて手が加えられていたのです。朝夕の光ように自然界というのは絶えず変化し続けるため、一瞬だけ現れる美しい風景は限りなく儚く、それをプリントで表現するためには高い技術と光に対する繊細な感受性が必要となるはずですが、そのような能力に加えてアダムスの場合は、自身の自然に対する敬いも大きな支えになっていたのではないかと思うのです。