日本の美しい町を旅する。
山と海の距離が近く、古き良き面影の残る町、尾道。前編July 22, 2023
山腹にひしめきあう寺社や家々、迷路のように細い路地、海の川と呼ばれる尾道水道。山や海に囲まれ、古き良き面影の残る尾道市中心街。一方で、「瀬戸内しまなみ海道」が繋ぐ、生口島(いくちじま)をはじめとする離島もまた尾道市だ。自然と町の距離が近い尾道の魅力をビストロ『ビズー』店主の岡本久美子さんがガイドする。
Landscape_千光寺頂上展望台から眺める絶景、尾道の町並みとしまなみ海道の島々。
Craftwork_受け継がれた技術で現代の帽子作りを アップデートする〈藤井製帽〉の直営店。
Culture Spot_『SOIL Setoda』でまた違う〝尾道〞を。 瀬戸田の暮らしを体感できる複合施設。
Food_ ローカルと旅行客が足繁く通う店。 『めん処 みやち』と『ビズー』。
The Guide to Beautiful Towns_尾道
音を感じながら過ごす時間が尾道旅の醍醐味。
「尾道は〝感じる〞町なんです。海風が吹く音、山の木々の音、船の汽笛、電車が走る音、鳥のさえずり……。いろいろな音が響いているけど、どれも温かみがあって、
この町の景色と合うんですよね」と話すのは、尾道でビストロ『ビズー』を手がける岡本久美子さん。10年ほど前に初めて訪れ、ここに住みたいと移住を決めた。
「尾道インターを下りて、一般道路に入った途端、車の速度が急に遅くなってびっくりして(笑)。町の人たちものんびり喋るし、都会とは時間の流れ方が違っていいなって。すぐに気に入りました」
尾道三山がある本州側と対岸の島に囲まれた尾道は、山、海、町の距離が近い。町の中心を流れる尾道水道は使い勝手の良さから、中世の開港以来、良港として繁栄した。人が行き交い、物流が活発だった頃、町の発展とともに、山と海の間の限られた空間に、多くの寺社と住宅が密集して建てられた。さらに、その間を縫うように造られたのが細い小路(しょうじ)や坂道。急勾配に立つ家々、迷路に迷い込んだかのように続く路地、参道を線路や道路が横切る神社、その隙間で伸び伸び暮らす猫たち。どこか別世界のような尾道の光景は、文学や映画でも度々取り上げられてきた。古くは松尾芭蕉や正岡子規、志賀直哉らの作品に、また小津安二郎や大林宣彦の映画でもよく知られている。「海が見えた 海が見える 五年振りに見る尾道の海はなつかしい」という言葉が尾道本通り商店街の入り口の石碑にある。作家・林芙美子の『放浪記』にある有名な一節には、郷愁だけではない、この町の独特な景観の魅力をも表している。そんな誰もが想起する「ザ・尾道」を堪能するには、まずは山の上から眺めることがおすすめだと岡本さん。
「千光寺山ロープウェイ山麓駅から千光寺公園へ向かいましょう。ロープウェイの途中、尾道の旧市内では一番古い神社といわれる艮(うしとら)神社が眼下に見えます。境内にある大きな楠は樹齢900年といわれる県の天然記念物。山頂に着いたら展望台へ。市内を一望でき、ここから尾道水道やしまなみ海道の島々も見えるので、位置関係がわかりやすいと思います」
尾道市には、いわゆる昔ながらの〝尾道の町〞のほかに、向島(むかいしま)、因島(いんのしま)、生口島(いくちじま)など島も含まれる。瀬戸内海に浮かぶ6つの島を10本の橋で結ぶ「瀬戸内しまなみ海道」は、エメラルドグリーンの透き通った海の上に架けられた幹線道路。なかでも「瀬戸田」の地名で知られる生口島は、レモンの生産量日本一を誇る島だ。本州から車で30分ほど、同じ市内でもまったく違った風景を楽しめる。
「『SOIL Setoda』や宿ができて、最近注目されているエリアですね。でも商店街は昔ながらのまま。そこに若い人たちが集まってきているので、新旧のミックス具合が面白い。それに瀬戸田の自然はダイナミック。車や自転車もいいけど、尾道駅前から定期船が出ているので、瀬戸内海の島を眺めながら行くのもおすすめです」
尾道で岡本さんが好きな店は、昭和レトロな雰囲気そのままの尾道本通り商店街周辺に多い。
「地元に根付いたものづくりのなかで、長年続いている〈藤井製帽〉は尾道のクラフトといえますね。今も昔と変わらず手仕事を貫いているのがいいなと思います。飲食は地元民に馴染み深い大衆的な店や気軽な店がたくさんある。長年、同じ場所でオープンしていたり、ちょっとクセが強いけど気取りがなくて温かい店主が多い。夫婦で長年切り盛りしている『めん処みやち』、店主の陽気なキャラと本場さながらの味が楽しめる『タコス屋 ハルディン』、味はもちろんセンスがめちゃくちゃ素敵な蕎麦店『笑空(えそら)』、新開エリアにあるディープな『洋酒喫茶ロダン』など、みんな流行りに流されることなく、芯を持って仕事をしている。意志を感じられる店が私が思う〝いい店〞です」
古き良き暮らしが残る尾道を歩いていると、ヴィンテージを愛でるような愛おしい気持ちが湧いてくる。その味わいは一朝一夕ではできなく、経年でしかつくれない。
「店の佇まいや路地の雰囲気、人のスピード感も基本的に昔から変わっていなくて、そのまま時が流れているだけだと思います」
だから、尾道という土地を楽しむには、はっきりした目的がないほうがいいのかもと岡本さん。
「観光スポットを頑張って回るよりも、尾道水道沿いに腰を下ろして、ぼーっとしてみたり、宿で朝ゆっくりした時間を過ごしたり。都会だったらせわしなく過ぎてしまう時間を、のんびり過ごしてほしい。そうすることで、昔と変わらない尾道ならではの音や光や風を感じられる。それがこの町を旅する醍醐味だと思います」
岡本久美子 『ビズー』店主
1974年、福島県生まれ。東京や鎌倉、地元福島で働いた後、2013年に尾道に移住し、夫の岡本真人さんとビストロ『ビズー』をオープン。現在マダムとして切り盛りする一方、今秋、向島に自身のショップを計画中。
東京・大阪方面から山陽新幹線で福山駅下車、福山駅からJR山陽本線に乗り換えて、尾道駅を目指すのが一般的。新幹線で新尾道駅下車の場合、尾道駅へは3 ㎞以上離れているので、車での移動が必要。尾道中心市街地は徒歩で回るのがおすすめ。島に行く場合はレンタカー、船、自転車で。
photo : Tetsuya Ito illustration : Jun Koka edit & text : Chizuru Atsuta