河内タカの素顔の芸術家たち。

フィンセント・ファン・ゴッホの傑作が生まれた場所【河内タカの素顔の芸術家たち】Vincent van Gogh / May 10, 2023


フィンセント・ファン・ゴッホ / Vincent van Gogh
1853-1890 / NLD
No. 114

オランダ南部のズンデルトの牧師の家に生まれる。27歳で画家になることを決意しベルギーのブリュッセルの美術学校に入学。1886年にパリへ、その2年後にアルルに移り住む。農民の生活を主題にした初期の作品から、印象派や新印象派の影響を受けたパリ時代の作品を経て、感情の率直な表現や大胆な色使いという独自のスタイルを確立し、亡くなるまでに素描も含め2,000点以上の作品を手がける。ポスト印象派を代表する画家に位置づけられ、表現主義やフォーヴィスムなどに影響を与えるなど、西洋美術史において最も有名で影響力のある芸術家のひとりである。

ゴッホの傑作が生まれた場所

 ブルターニュの景観に魅せられたポール・ゴーガンに対して、そのゴーガンの友人でもあったフィンセント・ファン・ゴッホを魅了した場所が、フランス南部のアルルとサン=レミでした。ゴッホが35歳の時に移り住んだアルルには今でも彼が描いた風景や建物がわりと残っていて、まばゆいばかりの陽光に照らされた色鮮やかに咲き乱れる花々や樹木を現地で目の当たりにすると、ゴッホの絵の色彩が劇的に変化していったのも「ああ、この景色と光がそうさせたのだな」と素直に納得してしまうはずです。

 1888年2月、パリを出発し南仏に到着したゴッホは、その時の印象について友人の画家・ベルナールに宛てて次のような手紙を送っています。「まず、この地方が空気の透明さと明るい色彩の効果のため僕には日本のように美しく見えるということから始めたい。水が風景のなかで美しいエメラルド色と豊かな青の色斑をなして、まるでクレポン(日本版画)のなかで見るのと同じような感じだ」(『ファン・ゴッホの手紙』みすず書房)と。その言葉通り、ゴッホはこの地で『アルルの跳ね橋』や『ひまわり』、『夜のカフェテラス』など、後世に残る傑作を次々と描き上げていくのです。

 ちょうど同じ頃、ブルターニュのポン=タヴァンで制作していたゴーガンが経済的に苦境であることを知ったゴッホは、いてもたってもいられなくなり、広場に面した黄色い外壁の2階建ての家を借り、弟テオの仕送りを頼みにゴーガンを呼び寄せ、念願だった二人の共同生活が始まります。しかし、彼らの関係は最初からかなりギクシャクしたものだったようで、性格も合わず衝突するばかりで、結局、ゴーガンはわずか2ヶ月でパリへ帰ってしまう結果となり、その後孤立してしまったゴッホは、徐々に精神の異常をきたして地元の市立病院に収容されることになるのです。

 その入院中に、ほっさや極度の幻覚に悩まされ、時には1ヶ月も単独の病室に閉じ込められ、絵を描くことを禁じられた時期もあったといいます。4ヶ月後にどうにか退院にこぎつけたものの、近隣からのクレームもあり黄色い家にはもう住めないことを知ったゴッホは、アルルから20キロ北東にあるサン=レミ=ド=プロヴァンスの療養院に入院することを自ら選択します。今は「エスパス・ヴァン・ゴッホ」と呼ばれているこの施設では、テオの計らいで二つの病室が用意されたようで、その一部屋をアトリエとして使うことを特別に許可されたため、療養中も絵は続けることができたのは幸いでした。

 療養中のゴッホは精神的にも環境的にも不安定な状況下であったにもかかわらず、今も忠実に残されている病院の中庭を描いた『アルルの療養所の庭』をはじめ、病室の鉄格子の窓の下に広がる黄金色の麦畑、病院からも見ることができるアルピーユ山脈の風景などを描き残しました。さらには、近隣のオリーブ畑や独特のくねくねした形状をした『糸杉』、その延長として山並みの上に輝く星と三日月にS字状にうねる夜の雲を描いた入魂の傑作である『星月夜』を完成させたのでした。

 このように世に知られているゴッホの代表作のほとんどが南仏の地で描かれたこと、しかもそれらがわずか2年間のうちに仕上げられたこと知った時の驚きとともに、なにかに追い立てられるようにキャンバスに向かう必死の形相のこのオランダ人画家の姿を思い描いてしまうのです。やがて1890年春にはどうにか精神状態も安定し、この療養院を退院することになったゴッホは、『糸杉と星の見える道』を描き終わると、同年5月に医師のポール・ガシュを頼って、パリから30キロ離れたオーヴェル=シュル=オワーズへとひとり向かったのでした。

Illustration: SANDER STUDIO

『ゴッホ作品集』(東京美術)ゴッホの作品を堪能できる大型作品集。代表作はもちろん、埋もれた名作の数々も掲載し、時代を先取りする表現に挑み続けたゴッホの革新性にスポットを当てる。


文/河内 タカ

高校卒業後、サンフランシスコのアートカレッジに留学。NYに拠点を移し展覧会のキュレーションや写真集を数多く手がけ、2011年長年に及ぶ米国生活を終え帰国。2016年には海外での体験をもとにアートや写真のことを書き綴った著書『アートの入り口(アメリカ編)』と続編となる『ヨーロッパ編』を刊行。現在は創業130年を向かえた京都便利堂にて写真の古典技法であるコロタイプの普及を目指した様々なプロジェクトに携わっている。この連載から派生した『芸術家たち 建築とデザインの巨匠 編』(アカツキプレス)を2019年4月に出版、続編『芸術家たち ミッドセンチュリーの偉人 編』(アカツキプレス)が2020年10月に発売となった。

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