河内タカの素顔の芸術家たち。

河内タカの素顔の芸術家たち。
神田日勝This Month Artist: Nissho Kanda / July 10, 2020

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神田日勝 / Nissho Kanda
1937- 1970 / JPN
No. 080

東京都板橋区練馬生まれ。8歳のときに戦火を逃れるために一家で北海道鹿追町へ疎開し、そのまま定住。東京藝術大学に進学した兄の影響で油彩を描き始め、農業をするかたわら開拓者たちが直面した厳しい現実を油絵や素描によって描写した。独学であったものの、同時代の国内外の美術の動向も自身の作品に取り入れ芸術性の高い作品を生み出した。全道美術協会展や東京の独立美術協会展に入選するなど、高い評価を受けるようになった矢先、風邪を拗らせて若くして帰らぬ人になった。

一介の農民画家ではなかった画家
神田日勝

 1960年代に北海道の鹿追町で農業をするかたわら、独学で絵を描き続けていた一人の青年がいました。それが神田日勝という画家なのですが、今年6月に東京ステーションギャラリーで展示が行われたことで、彼の作品を初めて観る人たちも多かったのではないかと思います。実はぼくもその一人だったわけですが、会場に行ってまず驚かされたことが、作品のほとんどがキャンバスではなくベニヤ板に直接描かれていたことでした。

 それに加えて、筆でなくペインティングナイフを使って描かれていたことも会場で知り、画面を刻み込むような力強い画風とマチエールは、この画家の大きな持ち味でもあるという印象を強く受けました。ナイフを使って描く手法に関しては、フランスの画家のベルナール・ビュフェも同じ描き方をしていましたが、それがキャンバスでなく板に向かっていたとなれば、この画家がかなり力を込めて絵の具を押し付けながら描いていたと推測されるのです。

 神田日勝は一貫して、苦労の多かった開拓者の日々の生活や農耕馬や鹿追町の風景を描き続けました。しかし、大きな美術展にも入賞を果たし評価もされ始めた矢先、病のためにわずか32歳という若さで亡くなってしまうのです。ゆえに、実質的な制作期間は10年ほどだったものの、その間に制作された油絵や素描は、どれも一貫して身体的なパワーや研究熱心な側面が如実に感じられる秀作ばかりなのですが、その中にあってひときわ力強いオーラが感じられたのが最晩年に描かれた二つの作品でした。

 両方とも1970年に描かれたもので、まず『室内風景』と題された作品は、新聞紙が隙間なく貼られた部屋に膝を抱えて座る一人の男を描いた、奇妙でありながら迫ってくるような絵。そしてもう一点が、黒い馬が左向きに半身だけ描かれた『馬(絶筆)』で、まるでそこにいるかのようなリアルな毛並みと穏やかな顔の表情がとても印象的な作品です。

 青い厚手のセーターを着た男の足元には、リンゴの皮や壊れた人形、魚の骨や白いホースなど死を暗示するようなものが描かれて、それを囲むようにヤカン、時計、マッチ箱、鉛筆、ポーチ、ものさし、灰皿、スケッチブックなど日々使っていた道具類にはなぜか影のないまま描かれています。上から吊るされた電球には明かりが灯っていなく、素足の男はどこか孤独感に満ちて寂しげです。

 その男の背景には壁から床まで息苦しくなるほどびっしりと新聞紙に貼られているのですが、それが広告と見出しを読むこともできるほどが細かく丁寧に描かれているのです。実はこれらはすべてこの画家が作り出した架空のものだそうで、「疲れて困るよ!」といった一節などには、彼の当時の心境が反映されているようで、なにかその後の運命を予知するものがあったのかもしれません。

 一方、絶筆となった『馬』に関しての話をすると、彼はこれ以外にもかなりの点数の馬の絵を描いていて、家族同然でもあったとされる農耕馬は、どれもとても気持ちがこもっているものばかりでした。しかし、生前最後の作品となったこの一点が他の作品と決定的に異なるのが、この制作が画家の死によって途中で終わってしまっているところで、そのことでこの馬の絵がより特別なものになったと考えられているのです。

 塗られなかった箇所は表面がそのままきれいに残っていて、ほぼ完成していた頭部から胴半分と前足に対して、経年のため飴色に変色したベニヤ板が絶妙なコントラストを生み出し、この絵になにか不思議な魅力をもたらしています。もちろん画家本人が意図としたことではなかったものの、この塗り残しは見れば見るほどその重要さが感じられるわけで、未完であるということがこれほど貴重に思えた作品はないと断言できるほど、神田日勝のこの遺作に心が奪われてしまった次第なのです。

Illustration: SANDER STUDIO

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『神田日勝 北辺のリアリスト』(北海道新聞社)神田日勝の生涯と画業を、長年彼について研究してきた第一人者が豊富な図版を織り交ぜながら解説。彼を知るための入門書として最適な一冊。


文/河内 タカ

高校卒業後、サンフランシスコのアートカレッジに留学。NYに拠点を移し展覧会のキュレーションや写真集を数多く手がけ、2011年長年に及ぶ米国生活を終え帰国。2016年には海外での体験をもとにアートや写真のことを書き綴った著書『アートの入り口(アメリカ編)』と続編となる『ヨーロッパ編』を刊行。現在は創業130年を向かえた京都便利堂にて写真の古典技法であるコロタイプの普及を目指した様々なプロジェクトに携わっている。この連載から派生した『芸術家たち 建築とデザインの巨匠 編』(アカツキプレス)を2019年4月に出版、続編『芸術家たち ミッドセンチュリーの偉人 編』(アカツキプレス)が2020年10月に発売となった。

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