河内タカの素顔の芸術家たち。
河内タカの素顔の芸術家たち。
アンリ・カルティエ=ブレッソンThis Month Artist: Henri Cartier-Bresson / October 10, 2020
決定的な瞬間を撮ったスナップ写真の名手
アンリ・カルティエ=ブレッソン
この著名な写真家の撮った作品は、きっとどこかで目にしているはずですし、おそらく名前も一度は聞いたことがあると思います。アンリ・カルティエ=ブレッソン。フランス生まれのこの写真家のことを、ここではとりあえず「フォトジャーナリスト」と呼んでしまいますが、特別な瞬間を追い求めて世界中を駆けまわり、とんでもなく質の高い写真を残した〝写真家の中の写真家〟という称号を与えてもいいほどの最重要人物です。
カルティエ=ブレッソンによる写真集の中でもっとも有名なものに1952年に出版された『決定的瞬間』という一冊があります。画家のアンリ・マティスを撮影していたことがきっかけとなったのか、この表紙にはマティスが特別に制作した切り絵が使われ、しかもそれまでになかったような28.5×35cmという大判サイズだったため、この写真集はより大きな注目を浴びることとなりました。
この本には、カルティエ=ブレッソンが1932年から1952年までに世界各地に赴いて撮りためた126枚のモノクロのドキュメンタリー写真が収録されていたのですが、その影響力は絶大で、ロバート・フランクやウィリアム・エグルストンをはじめ、多くの写真家たちにとってのバイブルとして崇拝されたほどです。奇妙なことに、この写真集はフランス語版と英語版とでタイトルが異なっていて、フランス語版では『Image à la Sauvette』(「逃げ去る映像」という意味)、英語版が『The Decisive Moment』と付けられているのですが、後者のタイトルがその後のカルティエ=ブレッソンの代名詞となる「決定的瞬間」でした。
「決定的瞬間」というのは、スナップ写真家であれば誰もが念頭においているはずですが、その言葉のニュアンスがもっとも似合うのがカルティエ=ブレッソンでもあります。というのも、この写真家の写真は構図やバランスが絶妙であるばかりか、揺るぎないほどの完璧さを誇っていたからです。もともと絵を学んでいたということが関係していたのか、カルティエ=ブレッソンは構図の基本である「黄金分割」を写真に取り入れ、まさに緊迫感に満ちた構図に収まる写真を撮影することができたのかもしれません。
織物製造業を営む裕福な家に生まれたカルティエ=ブレッソンは、子供の頃に父親から高価なコダック製のボックス型カメラを買ってもらったものの、当時の彼は写真よりも絵画や彫刻に気持ちが向いていました。しかし、1930年代初頭にパリを中心に「シュルレアリスム」が流行すると、そのムーブメントの代表格であったマン・レイの写真に刺激を受け、長く置きっ放しにしてあったカメラを再び手にし、それ以降は前衛的な写真を撮るようになっていきます。
やがて、当時のカルティエ=ブレッソンにとって大きな出来事が起こります。それが35ミリの「ライカ」との出会いであり、1930年代中頃に発売され“革命的”とまでいわれた小型カメラを使ったスナップショットを撮り始めるのです。彼はその優れたカメラを自在に使いこなすまでになり、レンズの存在を被写体にほとんど気づかれることなく自然な構図や瞬間を軽快にとらえていきました。
冒頭でカルティエ=ブレッソンのことを「フォトジャーナリスト」と書きましたが、彼の代表作といわれる写真のほとんどは仕事として依頼されたものではありませんでした。人間の視覚ではなかなか捉えることのできない一瞬の写真が、その後世界中の写真家たちの憧れと尊敬の対象となったのも、結局のところカルティエ=ブレッソンが切り取ってみせた世界が驚きに満ち、そして人々の心にまっすぐに訴えかける作品だったからに違いありません。