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サルスベリの花が見えるようになった。写真と文:古賀及子 (エッセイスト) #3October 22, 2025

サルスベリの花が見えるようになった。写真と文:古賀 及子 (エッセイスト) #3

自然の風景に、たいした目配せをせずに生き散らかしてきてしまった。

花や草木の名前に疎い。まったくの言い訳になるけれど、数年前までは、仕事やら家庭やらで人生が目まぐるしく、草花どころではなかったのだ。じんわり落ち着いてきた頃から、はっとして、木や花が、美しいものとして景色から浮き上がって見えるようになった。ちょっと、笑ってしまった。

というのも、祖父が植木好きで、生前はよくデパートの園芸コーナーでしめしめと鉢植えを買ってきては、自宅の屋上に並べ、水をやって慈しんでいた。そのせいか、草木を愛でるのは老人のすることという印象が幼少期からあったのだ。

季節に合わせ、みずみずしく緑が芽吹き、花が咲く。生物の生命を見つけてはっとして、喜びさえ感じる。自分にそんな日がくるとは思いもよらなかったから、可笑しかったというわけだ。

草木に疎くとも、さすがに桜の木と、あとサルスベリの木は視認することができた。サルスベリは中高生の頃に暮らした自宅の近くの公園に1本ひょろっと植えてあり、独特の樹皮と、つるつるした幹は猿でも登りづらそうだと、名前の説得力から記憶することができた。

ただ、どんな花を咲かすかまでには意識が及ばないまま、今年になってやっと、濃いピンク色のゆらゆら波打つような花弁を、塊のように咲かせるのだと知った。私はフリーランスの文筆業者で、毎日自宅の近くのコワーキングスペースに通っている。その途中の遊歩道で見つけたのだ。

サルスベリの花が見えるようになった。写真と文:古賀 及子 (エッセイスト) #3

ちょっとした意識の振れで、これまで見えていなかった物事が急に目についてよく見えるようになる現象はよくある。今年の夏はサルスベリの花が顕著にそれだった。8月の猛暑を過ぎ、9月の残暑のなかでも咲くものだから、けなげさに感心して、つい見つけると写真を撮る。

祖父は写真機には興味がなかったようで、育てた花の写真は残っていない。スマホの時代を待たずに亡くなったけれど、もしスマホを持っていたら、祖父もきっと花の写真を撮っただろうと思って、またちょっと笑う。


エッセイスト 古賀 及子

古賀及子
こが・ちかこ/1979年東京都生まれ。webメディアの編集者、ライターを経て現職。著書に日記エッセイ『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』(素粒社)、エッセイ集『巣鴨のお寿司屋で、帰れと言われたことがある』(幻冬舎)、『好きな食べ物が見つからない』(ポプラ社)などがある。2025年10月下旬に晶文社より、最新刊『私は私に私が日記をつけていることを秘密にしている』を刊行予定。

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