MOVIE 私の好きな、あの映画。
〈martau.〉デザイナーの滝沢うめのさんが語る今月の映画。『木靴の樹』 【極私的・偏愛映画論 vol.86】January 25, 2023
This Month Theme古くて味わいのある住まいに惹かれる。
何年もの長い間そこに生きてきたであろう古い樹に出合ったら、私は迷わず両手を広げて抱きしめる。
樹からもするすると手が伸びてきてこちらを包んでくれるようなやすらぎを感じる。それは街でも家屋でも。家具や道具や食器、衣服や布も。古い物たち全てからぬくもりが伝わり、愛おしさがこみあげてくる。
私が20代の頃、イタリアのどこだったか古めいた街をひとり旅していて、色々なことが重なりとてつもなく寂しく不安に陥ってしまったことがあった。
そのとき、ふと小さな教会を見つけて、誘われるようにそっとドアを開けた。ドキドキしながらも中央付近の椅子に腰かけたとき、しんとした薄暗い森の中で抱きとめられたような気がして、急に涙がポロポロと溢れてとまらなくなった。私は特に信仰があるわけではないけれど、何年も使われてきたであろうしっとり黒々とした木の椅子や、小さな華美ではないステンドグラスから溢れる陽の光、蝋燭のにおいや小さく響く人々の祈りの声によって、心細く硬くなった鳩尾がとろりと弛んでいったことを今でも忘れられない。
エルマンノ・オルミ監督の『木靴の樹』は、様々な風景が私にとって大切な映画である。19世紀末の北イタリアのベルガモで、小作人として農場に住み込む4家族の暮らしを、オルミ監督自身が自然光で撮影したドキュメンタリーとも見紛う映画。圧政や階級に縛られ、家族たちの日々の生活はとても苦しいけれど、部屋の中の祈りの場所や、木から削り作ったのであろうベッドヘッドや、真っ白なとろみのある器たちはとてもとても美しい。そして彼らの暮らしには、優しさや知恵や教えが詰まっている。
寒い冬には薪を割り暖炉に火を灯し、子供達は火の前でスウプとパンを齧り、お爺ちゃんから火の魔女の話を聞く。魔女は子どもたちの冷たくなった足が大好物なんだよ! と暖炉で温まった足をさすりながら子供たちをベッドへ連れてゆく。布団を捲り、あたためた石が入った木の籠を取り出す。
月が輝く夜は、皆で中庭に出て月を眺める。
「月がかさをかぶると大雪になる。春に雪が解けたらその水で作物が育つ。種を守るために地面は暖かい。冬は地面の熱を逃さないよう、地面が硬くなっているんだよ」お爺ちゃんは、小さな孫娘に優しくそう語りかける。
そして毎晩納屋で眠る前に行われる夜会では、共に暮らす4家族や村の人たちが集まりふかふかの藁に座り寝そべりながら、牛や馬と共にみんなでバティスティの小噺を聞く。バティスティは4家族の中でもいつも穏やかで優しいもうすぐ赤ちゃんが産まれる2人の男の子のお父さん。彼は話が上手なのでみんな頬を赤らめて興奮して踊りだしたり話に驚いてひっくり返ったりする。女たちはみな耳を傾けながら、かぎ針で編み物をしている。子どもたちが被る帽子や女の子のストール、お爺ちゃんやお父さんの襟巻き、どれもこれも色合いや編み地がたまらなく可愛くて私の編み心をくすぐる。
日々の祈りと共に欠かせない讃美歌は、聖書の言葉を民衆にわかりやすく伝えるために考えられた宗教的民謡なのだそう。ここに住む農民たちは、文字を読み解くことができないけれど日々常に祈り、言い伝えられてきた言葉をお守りのように大切にしている。
バッハのオルガン・コラールが情景と絡み合うように美しく流れる。その静かな旋律は私の感情を大きく揺さぶる。歳を重ねながら何度かこの作品を観ているが、観るたびに深く考える。本当に大切なものは何だろう。美しい幸せな暮らしとは、生きるとはなんなのだろうかと。
富や権力よりも、誰かのために祈り感謝すること。
自然が教えてくれることへ耳を傾け、自分と対話すること。人や動物やものへの深い愛は、みなの心の宝物になり幸せに導いてくれると私は信じている。