MOVIE 私の好きな、あの映画。
「SAML.WALTZ」オーナー 保里正人さんが語る今月の映画。『放浪の画家 ピロスマニ』【極私的・偏愛映画論 vol.106】September 25, 2024
This Month Theme使い続けたくなるようなものに出合える。
19世紀の暮らしに根付いた、生活道具や家具に魅せられて。
アンティークを求めてヨーロッパには何度も訪れているが、この映画の舞台であるグルジア(ジョージア)までは、さすがに足を伸ばしたことはない。英語でジョージアと呼ばれるその国は、ロシアとトルコに挟まれた黒海沿岸の小国、ヨーロッパの本当の東の果て。僕はこの国を映画で知っているだけだ。
美術がすばらしい映画を観ていると、買い付けさながらに小道具や大道具などを物色してしまい、ストーリーや台詞がそっちのけになってしまう悪いクセがある。『放浪の画家 ピロスマニ』のような映画がまさにそれで、次から次へと登場してくる古い生活道具や家具などのインテリアに目と頭を奪われてしまった。その中のいくつかは実際に仕事で仕入れたことのあるもので、イギリスのアンティークフェアに大型トラック数台で乗りつけて来る東欧のディーラーから購入したものだ。
ヨーロッパでは百年以上前のものをアンティーク、それより新しいものをヴィンテージと呼んでいる。アンティークと聞いてみんながイメージするイギリスやフランスでは、ピロスマニの生きていた時代、19世紀末の自国のコンディションのよいアンティークは、実はおおかた底を突いてしまっているらしい。僕もイギリスのマーケットで感じのよいアンティークを見つけたかと思うと東欧のものだった、ということも多い。たぶん東欧には、未だ映画のような町や村がすこし残っていて、手付かずの納屋や屋根裏には、今も十九世紀の暮らしが埃をかぶって眠っているのだろう。
映画では、主人公を取り巻く町や自然、立ち寄る酒場や友人とはじめたお店、手に取る日用品から登場人物の衣装に至るまで、百年以上前のグルジア(ジョージア)の暮らしが丁寧に再現され、哀しくも美しい絵描きの日常が、仄暗い映像の中を淡々と流れていく。そしてその流れを遮るように、ときに宗教画のように敬虔で、ときにサーカスのようにひょうきんな彼の作品が静止画で提示され、まるでその絵の中に足を踏み込んで行くような感覚になる。
失われつつある時代のロマンチックを濃厚に纏った映画を観終わり、目の前に積み上がった家具のリペアに精を出す。百年後の世界に、今ここにある家具のひとつでも時空を超えて佇んでいてくれれば、僕は本望なのである。
illustration : Yu Nagaba movie select & text:Masato Hori edit:Seika Yajima