アグネス・マーティン文/河内 タカThis Month Artist: Agnes Martin / December 10, 2017
水平線とグリッドだけで描かれた絵画を
描き続けたアグネス・マーティン
「私は平面を塗ったのではなく、ただこの水平なラインを描き出しただけでした。まもなく、私は他のすべての線を見出しました。そして私は悟ったのです。私が好きなのは水平なラインなのだと」――アグネス・マーティン
消え入るような均一のグリッド(格子)の線による平面芸術を追求したのがアグネス・マーティン(1912-2004)という女性アーティストです。ミニマル絵画を代表するひとりとして知られるマーティンは、2004年に92歳ですでに亡くなっているのですが、制作し続けた約40年もの間、同サイズの正方形のキャンバスを使い、グレーや薄いピンクなど淡く控えめな色の上に、細い線のグリッドや水平のラインのみというスタイルを生涯に渡って描き続けた孤高の画家でした。
アグネス・マーティンは1912年にカナダ生まれで、実はアメリカの抽象画を代表する画家であるジャクソン・ポロックと同い年です。カナダの西海岸都市バンクーバーに育ち、アメリカの移住後は様々な仕事を経て美術教師となり、1957年からアーティストとなるべくニューヨークに住み始めました。彼女の作風は一見すると単色絵画のようにも見えるのですが、至近距離で見ると均等に引かれた線はすべて一本一本手で丁寧に引かれているのです。それは瞑想するかのように描かれたような純粋な抽象画であり、マーティン自身も「私は抽象表現主義の作家である」と自分の画家としての立ち位置を早い段階から意識的していたといわれています。
彼女はこうも語っています。「私の作品には対象や空間、線も何もありません。つまり形態がないのです。そこにあるのは溶け込んでいくような、あるいは形態をなくした形のなさについての光と明るさのみです。あなたがたは海に形態があるなどと考えることないでしょう? だからもしなにも出会わなければ、その中に入っていけばいいのです。私は作品を通して対象のない世界、あるいは障害物のない世界を創り出そうとしています。ただそのまま視界の中に入ってゆくといったことを受け入れるだけ。海を見るためにひとけのない浜辺をまっすぐ歩いていくといった感覚と同じようなものです」と。
道教など東洋哲学からの影響を受けたとされるマーティンが、淡い色彩で塗られたキャンバスに鉛筆を使って均等なグリッドや水平ラインを描いていたのも、それぞれの絵が明るさやトーンや調子の違いによって彼女の精神性を表現しようとしたかったからかもしれません。55歳からジョージア・オキーフも住んでいたニューメキシコ州を拠点とし、テレビもなく新聞もまったく読まなかったほど世の中の動向から完全なる距離を置きながら、自然光に満ちたアトリエで自身と対話するように長い時間をかけて描いていたアグネス・マーティン。そんな彼女の淡い色彩の絵画がなぜ脳裏に沁み入るような普遍的な美しさに満ちているのか、仄かな光を発する静逸な絵を目にすれば必ずなにかをそこに感じることができると思いますよ。