河内タカの素顔の芸術家たち。
河内タカの素顔の芸術家たち。
アンドレ・ケルテス
Andre Kertesz
/ November 10, 2020
ライカの誕生で運命が変わった男
アンドレ・ケルテス
世界初の35ミリカメラ「ライカ」が発売されたのが1925年のこと。ハンガリーの首都ブダペストに生まれ、その後パリに移り住んでいた一人の外国人写真家にとって、このことはとてつもなく大きな“事件”だったのではないかと思います。当時31歳だったアンドレ・ケルテスは、この革命的とも言われた小型カメラを購入するや、すぐにその優れた特長を見出し、軽量かつコンパクトなカメラを最大限に活かしたような絶妙な作品を撮り、やがて20世紀でもっとも重要な写真家の一人といわれるまでになっていきました。
ライカが登場するまでは、三脚を必要とする大判カメラが主流だったわけですが、それは構図や明るさを決定してから撮らなければいけなかったのです。しかし、ケルテスはそのような計算された写真にそもそも興味がなかったようで、何気ないパリの街の風景や、なにかに没頭し夢中になる人々などをストレートに撮り、それらをなんとも不思議な魅力を持った独特の世界へと変貌させたことで、新しい写真の姿というものを提示したのです。
ピカソやブランクーシ、モンドリアンやマン・レイなど、当時のパリにはケルテスのように世界中から集まってきたアーティストが多く住んでいました。故郷ハンガリーの訛りがなかなか抜けなかったケルテスでしたが、そういった前衛的な芸術家たちからは、高い技術力と感性を持った職業写真家として尊敬されていたといいます。ケルテスは彼らのポートレートを数多く残すとともに、報道写真と芸術の両方の分野で目覚ましいい活躍をし、アンリ・カルティエ=ブレッソンら気鋭の若手写真家たちや、同じハンガリー出身で当時はまだ新聞記者だったブラッサイにも大きな影響を及ぼしました。
アンドレ・ケルテスの写真がなぜ魅力的なのか、それを一言で表すなら「撮ることの喜びに溢れている」ところではないかと思います。日々の出来事をまるで日記を書くようにピュアな感性で撮り続けたジャック=アンリ・ラルティーグにも通じる少年のような純粋さがあり、それに加えて、自分が単純に面白いと思ったものをすばやく的確な構図とアングル、そして絶妙な明度で撮ることができたからだと言えるかもしれません。
代表作の一つである「モンドリアンのパイプと眼鏡」のように心が洗われるほど美しい静物写真などを残す一方で、写真技法に関する実験意欲も旺盛だったケルテスは、それまで見たこともないような写真、例えば、鏡を使用し歪ませグニャリと曲がった「ディストーション」によるヌード写真など、視点の新しさが強烈に感じられる革新性に満ちた作品も多く残しました。
10年ほどパリを拠点にしていたケルテスでしたが、1936年には欧州各地で次第に激しさを増していた戦禍から逃れるために、家族とともにニューヨークに移り住みます。ワシントン・スクエア・パークの北側の高層アパートに住み、コンデナスト社での仕事を基盤としながら、1972年に発売された「ポラロイドSX-70」を使ったカラー写真撮影を行うなど常に前進し続け、91歳で亡くなる晩年まで写真を撮り続けていました。そんなケルテスの作品集を時々取り出して眺めていると、いつもなにかしろの新しい発見をしてしまうのですが、それほどケルテスという人の写真は革新性と驚きに満ち溢れていて、まさに写真を見ることの喜びを教えてくれる人であるのです。