河内タカの素顔の芸術家たち。
河内タカの素顔の芸術家たち。
エリオット・ポーターThis Month Artist:
Eliot Porter / October 10, 2019
北米におけるカラー風景写真のパイオニア
エリオット・ポーター
ソローの著書『森の生活』(マサチューセッツ州コンコードにあるウォールデン池のほとりで、1845年7月4日から2年2ヶ月2日に渡って小屋で送った自給自足の生活を描いたヘンリー・デイヴィッド・ソローの回想録、1854年に出版された)に触発され、彼の思想を視覚的に表現するかのようにニューイングランドの四季の変化や野鳥をカラーの写真で撮ったのがエリオット・ポーターという写真家でした。
写真史上にこの写真家の名前が刻まれているのは、彼がこういった自然写真をカラーフィルムによって撮ったという功績なのですが、「え、それがそんなに凄いことなの?」と当然ながら思われるはずです。実は彼がカラーでの写真を撮っていた時代というのが1940年代のことであり、そのずっと後に注目されるようになったウィリアム・エグルストンらによる「ニューカラー」というアート写真の動きなど存在しなかった頃で、このポーターという人はカラー写真の可能性を探求し押し広げた、いわばカラーでの芸術写真のパイオニア的存在として知られる人なのです。
エリオット・ポーターは1901年生まれ、子どもの頃から飛び抜けて頭が良かったらしく、高校卒業後はハーバード大学の医学部へ進み、そのまま母校に残り研究を続けていて、その後から趣味の延長で写真家になったという経歴を持っています。もともとアメリカ西部の大自然を撮っていた写真家アンセル・アダムスに共鳴し、彼自身も昔から環境保護運動に深く傾倒していたポーターは、最初はモノクロフィルムによって森や自然物、野鳥、花や岩などを撮っていて、アルフレッド・スティーグリッツが運営していたアン・アメリカン・プレイス・ギャラリーでも個展を行なったことがありました。
そんな彼がカラーへ転身する契機となったのが、ある編集者から「モノクロ写真だといったいなんの鳥だか判らんないなぁ」と言われたのがきっかけだったといいます。それからというもの、ポーターは感光液や印画紙に関して試行錯誤を繰り返し(なにしろ彼は理系の秀才でしたから)、やがて耐久性に優れ発色が鮮やかなことで知られる「ダイトランスファー」(赤青黄の染料を使用した転染法によるカラープリント)という写真印刷技法に行き着きます。日本で通称「ダイトラ」と呼ばれて主に商業写真で使われていましたが、高い技術は必要だったものの繊細なカラーのコントロールや階調描写が可能だったため、ポーターが目指していたクオリティに最も合った手法だったのでしょう。
ポーターはその技法を使った写真を『野生にこそ世界の救い(In Wildness, Is The Preservation Of The World)』という展覧会カタログとして1962年に出版、そこには愛読した『森の生活』からソローのテキストが添えられていました(ちなみにこの写真集は累計100万冊以上販売され、今もなお増刷され続けている大ベストセラーとしても知られています)。
自然のあるがままの状態に従った色彩を再現しようとした鮮明な色調と細部に重点を置いたポーターの美しいプリントは、実際今の眼で見てもみずみずしくとても鮮やかで、しかもそれらがすべて自己の表現として撮っていたという点において高く評価されています。ともかく、カラー写真を新しい表現方法とするために並々ならぬ探求を惜しまなかったからこそ、時代の先駆けとなるような作品群に結びついたといえ、ゆえに今もなお彼のカラー写真を崇拝する人が多くいるのもすごく頷ける話であるのです。