河内タカの素顔の芸術家たち。
バウハウス出身のテキスタイル・アーティスト 、アニ・アルバース【河内タカの素顔の芸術家たち】Anni Albers / July 10, 2023
バウハウス出身のテキスタイル・アーティスト
アニ・アルバース
「粗い、滑らか、鈍い、光沢がある、硬い、柔らかいといった表面の質だけでなく、テキスタイルには色彩も含まれる。いかなる工芸品もそうであるように、テキスタイルもまた、有用なものを作ることに終わることもあれば、芸術の域に達することもある」ー アニ・アルバース 著書『デザインについて』(白水社) より抜粋
幾何学的なデザインの壁掛けや織物で知られるアニ・アルバース。夫は、正方形を組み合わせた幾何学絵画で知られるジョセフ・アルバースです。二人はドイツのバウハウスで互いに生徒だった頃に知り合いのちに結婚、その後アメリカに移住しました。新天地では共に大学で教えながら、メキシコや中南米を頻繁に訪れて古代メキシコの遺跡や織物の視察と収集を精力的に行い、それを持ち帰り研究を深めながら自らの作品に反映させていたことで知られています。
アニは1899年にベルリンに生まれました。10代の頃から画家になることを目指してハンブルクの美術学校に短期間通った後、当時まだワイマールにあったバウハウスで学ぶようになります。しかしながら、1年目の基礎課程こそヨハネス・イッテンに学ぶことができたものの、2年目からは当時最も進歩的と言われたバウハウスでさえも、女子学生は絵や彫刻、写真を本格的に学ぶことができなかったそう。唯一受講できたのは織物工房の授業のみで、アニも不本意ながらそのクラスで学ぶようになります(本当はジョセフと一緒にガラス工房に入りたかったのだそう…)。
すでにバウハウスで教えていたジョセフと26歳のときに結婚し、同校がデッサウに移転した際には二人にとって師であったパウル・クレーとヴァシリー・カンディンスキー夫妻の隣にあったマイスター用の宿舎に移り住みます。アニは学生の頃から幾何学的で洗練されたデザインをし、織物工房の責任者にまでなっていたものの、ユダヤ人であった夫妻はドイツにいられなくなり、米国のノースカロライナ州に新設された実験的な芸術大学ブラック・マウンテ ン・カレッジで教えるためにアメリカに移住することになります。
この学校は実践的な学びに重点を置いていたということもあり、まだ織機さえなかった頃、アニは生徒たちに素材や構造を学ばせるために校外で織物の材料となるものを自ら探させたりしました。ちょうどこの頃に夫妻を魅了したのがメキシコや中南米の遺跡や工芸品で、彼らは現地でフォークアートや伝統的なテキスタイルを大量に収集していき、それがやがて抽象的に交差する色彩や幾何学的なパターンへと色濃く影響を及ぼしていくことになるのです。
1949年にブラック・マウンテン・カレッジを辞めたアルバース夫妻は、コネチカット州に移り住んでアトリエを構え、同年アニはニューヨーク近代美術館で個展を開いた最初のテキスタイル・デザイナーとして一躍注目を集めました。しかもその展覧会は数年にわたって全米を巡回することとなり、彼女はデザイナーという枠を超え、当時最も重要なテキスタイル・アーティストとしての地位を確立することになります。それに加え、当時ハーバード大学の建築学科長であったヴォルター・グロピウスの依頼を受けて学生たちのためのベッドカバーのデザインを手がけたり、ノール社のフローレンス・ノールに声をかけられテキスタイルデザインをするなど多忙な日々を送りました。
バウハウス時代に自ら考案した技術的な革新をアメリカに移住後さらに推し進めただけでなく、過去に生みだされたテキスタイルの研究を重ねていき、長く忘れ去られていた古典的な技法を復活させたアニの功績は特筆すべきところでしょう。またジュートに紙、馬の毛にセロファンといった伝統的な素材と工業的な素材を組み合わせてみたり、光の反射や生地のシワ、さらに反りの特性などを取り入れるなど、当時としては驚くほど先進的なことを行なっていました。言うなればアニ・アルバースの最大の功績というのは、テキスタイルデザインを重要な芸術表現として確立したことにあり、今の時代においてなお評価が高まっているのも彼女の凄みのある作品を見れば実に納得のいくところなのです。
展覧会情報
「ジョセフ・アルバースの授業 色と素材の実験室」
会期:2023年7月29日(土) - 11月5日(日)
会場:DIC川村記念美術館
住所:千葉県佐倉市坂戸 631
https://kawamura-museum.dic.co.jp/art/exhibition-next/