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高円寺の「庚申通り」より愛をこめて。写真と文:江本祐介 (ミュージシャン) #1August 05, 2025
なぜインスタグラムにマンホールの写真をあげ始めたのかは自分でもよく覚えていない。別にマンホールが好きだから撮っているというわけでもない。ただ、いくらか撮影して投稿しているうちにどの町に行ってもマンホールは存在し、「この日この場所に自分はいたんだ!」という記録を残すのにちょうど良く思えた。
なので、もし人からマンホールを撮る理由を聞かれた時は後付けで、「まぁそういう事なんですよ」と説明することにした。最初に投稿したのはいつだったかなと辿ってみると2013年3月28日。当時住んでいた高円寺のボロアパートから歩いて数分の早稲田通り沿いにあるなんでもないマンホールだった。

21歳の時、地元の埼玉でやっていたバンドが解散し、そのままの勢いで「俺は東京行ってバンドやるぞ!」と友人や家族らに息巻いて実家を飛び出し上京。春の天気の良い日に兄が運転する軽トラで荷物を運び、初めての一人暮らしを始めた。といっても、鈍行列車で片道1時間半も乗ればいつでも帰れる隣の埼玉からなので、果たしてこれを上京と呼んでいいのだろうか。大した貯金もないのに突然一人暮らしを始めたので借りれるアパートもかなり限られており、バイトで貯めた全財産30万円弱を握りしめて辿り着いたのは家賃3万円の風呂無し六畳一間の共同トイレというとりあえず雨風はしのげるレベルの家だった。高円寺北口の庚申(こうしん)通り沿いと場所だけはよかったのが唯一の救いだった。風呂が無かったので家から歩いてすぐの『小杉湯』という銭湯に通っていたが、レコードや古着なんか買っていたらあっという間にお金も尽きて給料日前はコインシャワーへ行かざるを得ないような生活を送っていた。
ようやくバイトの給料が入り今日こそは『小杉湯』に行って、『らーめん せい家』のラーメン大盛り食うぞ! と向かうと番台の横に「夜間清掃バイト募集」と張り紙がしてあるのに気づいた。張り紙には小さく"お風呂に無料で入れます"と書いてある。日中バイトしているにもかかわらず、何も考えずにすぐさま応募したらあっという間に面接、そしてそのまま採用してもらい働き始めることになった。昼も夜もバイトってのは大変ではあったが、当時の僕としてはお金がもらえて毎日タダで銭湯に入れるなんて、これ以上の喜びはなかったのである。

昼のバイトが休みの日には、高円寺の古本屋やレコード屋へと足を運び、黙々と棚と睨めっこする日々を送った。ある日何の気なしにふらっと入った、あずま通りにある『ヨーロピアンパパ』というレコード屋でパタパタとレコードを見ていると突然目の前に猫が現れた。レコード屋の店主が飼っている猫らしい。優雅にレコードの上を歩いている。「猫かわいいですね」なんて話すうちに店主とすっかり仲良くなり、『ヨーロピアンパパ』でもたまに店の手伝いや祭りの日なんかには店先で弾き語りライブもさせてもらった。しばらく会えていないけど、店長元気にしてるだろうか。

高円寺に住み始めて最初のうちは「東京最高〜!」と楽しく生活していたものの、同世代の友達ができず目的のバンドを組める気配もサッパリなかった。ある日地元の友達から連絡があり、久々に会うことになった。大学のサークル友達を紹介してくれて、ちょっと話してみるとなんとウチから庚申通りを渡って30秒のところに住んでいることがわかり、すぐに連絡先を交換した。彼も福岡から音楽をしに上京してきており、大学のサークルには所属しているが別に大学生ってわけではなく僕と同じフリーターだった。そして彼も風呂無しアパートに住んでいた。家があまりにも近いのもあり、しょっちゅうお互いの家を行き来していた。インターホンなんか無い僕らはアポなしでドンドンとドアをノックしては集まり、一緒に音楽を聴いたり互いに作った曲を聴かせてはあーだこーだと言ったりした。いつでも最後には、近くのスーパーでバイトしてる女の子が可愛いだの彼女欲しいなぁだのそんな話ばっかりしていた。

夏が過ぎ、秋も過ぎ、冬になり、正月になると、いつもは人が溢れて騒がしい高円寺からは想像できないほど町は静かになっていた。お金のない僕らは実家にも帰らず(帰れず)に一緒に過ごした。せめて正月らしいことぐらいしようということになり、2人で1つの凧を買って自転車にまたがり、「寒い寒い」と言いながら中野の平和の森公園まで走った。ハチャメチャに晴れ渡った空の下、どちらかが凧を持ち、もうひとりが糸を持ってせーので走る。が何度やっても凧は地面を転がるばかりで揚がらない。半ばヤケクソ気味に笑いながら、息を切らして何度も何度も走るうちにコツを掴み、やっと空に高く舞い上がった凧を風に流されないように糸を手繰りながらじっと眺めた。凧がこんなに高く上がるなんてこの時まで知らなかった。
そんな僕も彼も、未だに転がり続けながらどうにかこうにか音楽をやっている。今でも曲を作っていると、ふとあの高円寺のボロアパートと庚申通りを行ったり来たりした日々を思い出してしまう。

ミュージシャン 江本 祐介
