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富士山にふたたび登って見えたもの。 連載コラム : 鈴木優香 #2February 12, 2025
私が山に登り始めたのは、今から14年ほど前。大学生のころでした。初めての山が高尾山だったか富士山だったか、忘れてしまったのですが、今となってはよくもそんな装備で…と呆れてしまうほど、何も知らずに山に登っていたことを思い出します。
初めての富士山は、いわゆる弾丸登山(御来光のタイミングに合わせて徹夜で山頂を目指す、良くない登り方です)だったことと、直前に購入した登山靴による足の痛みで散々なものでした。寝不足と空気の薄さで、意識は朦朧。ついには、山頂まであと400mのところで陽が昇ってしまい、投げやりな気持ちになってリタイアを決めました。下山するときには辺りは明るくなっていたはずなのに、そこで見た景色の記憶は全くありません。苦い思い出だけが残り、富士山に登ることはもうないだろうとも思っていました。
それからどういうわけか、アウトドアメーカーへの就職が決まり、登山用品のデザイナーとして働くことに。商品開発に活かそうと山に通い続けるうちに、少しずつ楽しみを覚え、いつしか山に登ることがライフワークになっていきます。国内だけでなく、ネパールやパキスタンへも遠征するまでになりました。そうしてあるとき、ふたたび富士山に登ってみようと思い立ったのです。初めて登ったあの日から、ちょうど10年が経っていました。
2度目の富士山はゆったりと、山小屋で1泊する計画を立てました。歩き始めてまず驚いたのが、5合目から6合目に渡る樹林帯の美しさです。雨が降ることで森の色は深みを増し、針葉樹の若葉に付いた雨粒が、よりいっそうきらめいて見えました。静かな山の中で聞こえてくるのは、ぱたぱたと雨が落ちる音と、じゃりじゃりと火山礫を踏む音だけ。山小屋の夕食には定番のカレー。夜空には数えきれないほどの星が瞬きました。
翌朝、樹林帯を抜けた先に広がっていたのは、火山特有の赤々とした山肌でした。これがほんとうに自然の色なのだろうかと、疑ってしまうほどの鮮やかさ。歩き進めるたびに刻々と色が変わっていく様子に、夢中になって写真を撮りました。足元にごろごろと転がっている岩石も、さまざまな色形のものがあり、見ていて飽きることがありません。次々に出合う美しいものに、これもいいなぁ、とか、あれもきれいだなぁ、と内心呟きながら、少しずつ、少しずつ、標高を上げて、ついに山頂に立ったとき、「ああ、山に登り続けてきて良かった」と思いました。
![富士山にふたたび登って見えたもの。 連載コラム : 鈴木優香 #1 富士山にふたたび登って見えたもの。 連載コラム : 鈴木優香 #1](https://img.andpremium.jp/2025/02/10034018/top-1-1024x717.jpg)
「富士山は見る山で、登る山ではない」と言う人もいます。実際に私も、歩きにくいうえに単調な道が延々と続く、おもしろみのない山という印象を持っていました。けれど、富士山はこんなにも色鮮やかで変化に富む、素晴らしい山だったのです。もちろん、富士山はずっと前からそうありました。変わったのは、私自身です。樹林帯や山肌の美しさだけではありません。眼下に広がるまろやかな雲海や、厳しい環境で懸命に根を張る高山植物。夜の暗さ、星の瞬き、風の冷たさ、太陽の温かさ。10年前の私はただ歩くことに精一杯で、周りに目を向ける余裕がありませんでした。けれど、ふたたび登った富士山では、さまざまなものを見ることができました。そして、それを美しいと感じることができました。数々の山に登り、それに伴って身に付いた体力と知識。そして何よりも、山との向き合い方がわかってきたからこそ、視野が広がったのだと思います。
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たとえ同じ季節に同じ山に登っても、全く同じ景色を見ることはできません。それは天候だけの話ではなく、山に登るその人自身が常に変化していくから。そのときの心の持ちようで、見えるものや感じることも変わっていくのです。それが山のおもしろさであり、私がずっと山に登り続けている理由のひとつでもあります。今年もまた富士山に登る予定です。次は何が見えるのか、そして何を感じるのか、とても楽しみです。
edit : Sayuri Otobe
山岳収集家 鈴木優香
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