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信じて愛しているものを分かち合う。写真と文:西村佳哲 (文筆とファシリテーション) #2August 14, 2025
#1で綴った、対話型鑑賞のつづきです。滞在地となった山梨県の清里は標高1,400mで涼しく、避暑に最適でした。

が、涼みに行ったわけじゃない。アート・プランナーの三ツ木紀英さんや集まった十数名と絵画を見ながら語り合う時間を、朝から晩まで何度も重ねた。基本は強化合宿です。

個人的に、ピーテル・ブリューゲルの「バベルの塔」を見た20分が白眉だったな。これまでは、「はいはいブリューゲルね」「バベルね」という感じで終わっていた自分が終わっている、というか情けない。あらためて「こんな絵だったんだ!」という驚きがありました。
地面から建てているようで、大きな岩山を抱えている。内側が肉のように赤いのはなぜ? 空から垂れてくる雲の不吉さは?
絵画は隅々まですべて、作者が「描いて」いるんですよね。しかもたいてい「頼まれもしないのに」。ここはポイントだと思います。この“主体性の塊”は、見る人に一体なにを投げかけているのか……オーストリアのウィーンへ実物を見に行こうと思います。
となったのも対話型鑑賞の効用ですが、自分の隠れたワークショップのテーマは、実は三ツ木さんでした。

私は、東京都美術館と東京藝術大学のアート・コミュニケーション事業「とびらプロジェクト」に足掛け十数年かかわっています。三ツ木さんもその講師の一人で、彼女の講座や、対話型鑑賞の様子を幾度か傍聴してきた。
何年か見ていると、講座のスライドの内容が少しずつ変わっているのがわかります。同じものを使い回していない。ファシリテーションも新鮮で、毎回生き生きとしている。慣れた手つきで、ただこなしていない。場数を重ねてきた人ならではの安心感がありつつ、彼女自身が楽しんでいて、その仕事の中で変化している。

かくあるべしと思うんですよね。仕事は。
つづけられることを見つけて、それをできる限りつづける。長く重ねたその先でできることが必ずある。慣れても毎回ベストを尽くす。つまり挑戦する。すると変わってゆくことになる。
自分が信じて愛しているなにかを、働くことで人々とわかち合う。
3年やって思うのは、私は対話型鑑賞の学び合いもさることながら、「こんなふうに存在できる」「働いて生きてゆける」という事実をわかち合いたかったんだなということです。彼女を通じて。
で、ひとまず満足したので、このワークショップは今年で終了。三ツ木さんとはまた別のことが始まれば始まったでいいし、私も変われば変わったでいいなという気分。次へと向かいます。
edit : Sayuri Otobe
文筆とファシリテーション 西村 佳哲
