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日々、プリクラで。 連載コラム : 田中せり #2February 10, 2025
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中学校に入ると美術部に所属し、油絵を描きはじめた。中高合わせて部員は50人程おり、技術のレベルも高く、個性豊かな人が多く、良い環境だった。ただ、年に3回ある講評会の日は、とにかく肩身が狭かった。完成させた40号の絵を2作品、イーゼルに並べて全部員の前で先生に講評してもらうのだが、私の絵はだいたい未完成か、油絵だというのに一夜漬けでなんとか仕上げたものだったので、後ろめたい気持ちでいっぱいだった。絵が進まなかったのには理由があって、当時、私は美術部で一番親しい友人と、油絵ではなく、別のことに没頭していた。それがプリクラだった。
といっても、自分たちをきらきらと可愛く写すことには興味がなく、落書きを駆使して凝りに凝ったプリクラを撮ることに夢中になっていた。例えば、当時人気のテレビ番組のキャラクターに扮したり、物語のワンシーンを再現したり、騙し絵のようなトリックを仕込んだり……。次々と新機能が登場する時期で、写真を切り抜いて複製したり、サイズを変えてスタンプにできる機能の登場は大ニュースで、それを機に、私たちのプリクラ活動はさらに加速した。私たちはネタのスケッチを持ち寄り、その日の撮影プランを練ってからゲームセンターへ向かうほどの意気込み。制限時間3分ほどの落書きタイムは、ものすごい集中力で役割分担をしながら描き込みをしていた。美術部の画力を大きなキャンバスではなく、わずか4cmの小さなシールの中で発揮していたのだ。
ラフを描き、写真を撮り、切り抜き、レイアウトを調整し、一つの絵を完成させる。プリクラで磨いたこの一連の流れは、今でこそ毎日使っているPhotoshopやIllustratorでグラフィックデザインを制作する工程と何ら変わりがないことに最近気がついた。当時の私たちは、伝統的な油絵の具よりももっと身近にあるプリクラを、表現のメディアとして選んでいただけなのかもしれない。都合の良い話かもしれないけれど、そう思えば美術室を抜け出していた時間も肯定してあげることができるし、何より、あの熱量で彼女と過ごした時間は、後に私が進む道の原体験となっていたのは確かである。
当時はSNSが普及していないのはもちろん、携帯電話も持っていない頃なので、「プリ帳(自分のプリクラや友人からもらったプリクラを貼りためる手帳)」と「プリ缶(友人に配るためのプリクラを入れる小さな缶)」を持ち歩き、友人や憧れの先輩とプリクラを交換するのがコミュニケーションの習慣だった。プリ帳には人それぞれ個性が表れ、どんなプリクラを撮って、誰と繋がっているのかが可視化されるもの。今でいうInstagramのような存在だったのかもしれない。時代を経てツールを変え、気づけば私は20年以上たった今も同じことを繰り返していた。
edit : Sayuri Otobe
グラフィックデザイナー 田中せり
![](https://img.andpremium.jp/2025/01/31095428/seritanaka-300x300.jpg)