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友人の引っ越しと『体の贈り物』。写真と文:熊谷充紘 (本屋『twililight』店主) #2October 13, 2025

雰囲気というものはどのようにして作られるのだろうか。たとえば店の雰囲気。お客さん一人ひとりにその人にしかない雰囲気というものがあるから、それら複数が合わさり、店の雰囲気が作られていると言えるのかもしれない。ただ、自分が客としてどこかの店に行く時、客が他にいなくてもその店の雰囲気は既にあって、自分が場違いにならないよう、その空気感にチューニングすることがよくある。だからわたしの店『twililight』にも、お客さんがいなくても既に雰囲気があると思うのだが、自分で作った覚えはない。

友人の引っ越しと『体の贈り物』。写真と文:熊谷充紘 (『twililight』店主) #2

この店の雰囲気を壊さないよう、できるだけ気配を消しながら入荷した本を並べていると、「すみません。本を探しているんですけど……」と声をかけられる。

「どのような本でしょうか?」

「引越しをする友人に本を贈りたいんです。すごく素敵な人で、遠くに行っちゃうのが寂しくて。でも彼女の仕事としてはキャリアアップだから、応援もしたくて。どんな人にも優しくて気配りができる人で、どうしたらそうなれるの? って聞くと、『別に何も考えてないよ』って。『持って生まれたものじゃ、こっちが努力しようがないじゃん』『いや、そんなわたしの美徳? みたいなことに気づいて、言語化できる時点で相当な力の持ち主だと思うよ。ありがとう』。いつもこんな感じなんです。こっちが与えられているばかりで、わたしは彼女に何をあげられるんだろうって。今回だって、引越し祝いは何がいい? って聞いたら、その気持ちだけで十分だよって。ちょっと可愛げがなさすぎません?」

急に怒り始めたお客さんをなだめながらレジに誘導する。他のお客さんの迷惑というよりは、プライべートなことが筒抜けにならないように。ずっと静かな店でありたいわけではなく、今日この瞬間はこういう雰囲気、というのを味わえるのが実店舗の魅力だと思う。

「彼女が大人過ぎて、離れ離れになりたくないって、寂しいって気持ちも伝えることができなくなっちゃって。だからせめて、本で伝えることができたら」

「わたしのちっぽけな想像力では、ご友人がどんな本を喜ばれるか答えを出すことができません。ただ、お客さまはもしかしたら“贈る”ということに少し囚われているのかもしれません。何かをもらったら、感謝の気持ちを伝えるためにお返しをする。もちろん美しい行為ではありますが、そこにモノを介す必要は必ずしもない。ご友人も見返りを求めて気配りをしているわけではないと思います。それをわかっているからお客さまも素敵だなぁと尊敬している」

「じゃあ、このままでいいってことですか? 離れて寂しい気持ちはどうすればいいんですか?」

「そのまま伝えればいいんだと思います」

そう言ってわたしは一冊の本を差し出す。

『体の贈り物』が教えてくれること。:熊谷充紘 (『twililight』店主) #2
『体の贈り物』が教えてくれること。:熊谷充紘 (『twililight』店主) #2

「レベッカ・ブラウンの『体の贈り物』(twililight)は、目の前のあなたに関心を持ってただ一緒にいること、それだけで贈り物になると教えてくれます。お客さまがご友人の気配りに気づいてすごいねって伝えたこと、それが既に贈り物になっていたんです。ずっと見ていてくれる人がいた。それはすごい安心感です。引越しで離れ離れになるのは寂しいですが、気にかけてくれている人がいること、寂しいって伝えてくれる人がいること。あなたが生きていること。それだけでご友人は生きていけるだけの贈り物をもらっている。よろしければ、この本をご自身への贈り物にされてはどうでしょうか。友人思いの素敵なお客さま自身を、省みるきっかけになるかと思います。人は生きているだけで誰かの役に立っている。そう思えると楽になる部分もあると思います」

雰囲気とは作り出すものではないのだろう。店を始める前からこの物件に流れてきた時間、わたしが影響を受けてきたこと、お客さんとの出会い、色々な要素によって、その時々の雰囲気が生まれる。ちっぽけなわたしにできることは、この空間にいる人たちの存在を認めて、安心して過ごせるひと時を提供すること。挨拶以外の会話はしなくても、関心を持って、同じ空間に一緒にいる。店員として、当たり前に存在すること。


本屋『twililight』店主 熊谷 充紘

熊谷充紘
くまがい・みつひろ/東京・三軒茶屋で本屋&ギャラリー&カフェ『twililight』を営む。出版社としても、『体の贈り物』レベッカ・ブラウン 著、柴田元幸 訳、『珠洲の夜の夢/うつつ・ふる・すず さいはての朗読劇』大崎清夏 著などを刊行。本と出合う場を広げるべく、イベント企画や選書、執筆も行う。

instagram.com/twililight_

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