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風呂屋としての原体験。風呂屋・相良政之#2March 11, 2025

風呂屋としての原体験。風呂屋・相良政之#2 /『富士見湯』/ 『東京浴場』/ 『桑の湯』

「風呂キャン界隈」という言葉が流行っています。「お風呂をキャンセルする(入らない)」の略語ですが、僕には全く共感できない無縁の言葉でした。お風呂をキャンセルするどころか、物心ついた頃から僕の生活の舞台は常に風呂場でした。

1日5、6時間も家の風呂に入っている小学生がいたらみなさんはどう思いますか?

引いちゃうよね……、そうです、僕の話です。

さがら式の風呂の入り方はまずは2リットルの水とアイスクリーム、そしてたくさんの本を用意します。浴槽の蓋をテーブルに、その上にバスタオルを敷き、一日中、湯船に浸かりながら本を読む。これは当時の僕の日々の楽しみでした。

湯温は江戸っ子設定の42.5度。追い焚きし続けて熱々の温度を保ち、限界になってきたら風呂場を出て、冷房をキンキンに効かせた部屋の床に全裸で寝そべる、そんな温冷交代浴を何十往復としていました。きっと僕一人で我が家の水光熱費の95%を消費していたのではないかと思っています。お父さんお母さん、あの時はごめんなさい。

家に帰れば風呂に浸り、家を出れば習いごとと部活の水泳へ。水で過ごす時間が長過ぎて、指はいつもシワシワで、どちらかというと両生類に分類されるような人間でした。

思春期を迎える頃には風呂にホワイトボードを持ち込み、悩みや不安、考えを書き殴ることでモヤモヤを解消していました。あの頃のやるせない思いもぶつけようのないエネルギーも、すべて風呂で溶かして水に流していました。

それほど家風呂が大好きな僕が外に出て温浴施設に興味を持つようになったきっかけは、2011年3月11日に起きた東日本大震災。僕の実家は福島県で地震の影響でしばらく家風呂に入れなかった時期がありました。

余震が続く家で常にヘルメットを被り、ニュースを追いかける生活。そんな中で唯一心を癒してくれたのが家族で行った温泉でした。震災時でも営業を続けてくれたその温浴施設で、風呂が本来持っているパワーやインフラとしての役割を強く認識しました。これが僕の風呂屋としての原体験になっています。

そして銭湯業界に飛び込むきっかけになったのが、上京してからの経験でした。高校を卒業後、IT企業でエンジニアをしていましたが、銭湯巡りにハマり、銭湯の魅力を同世代に広めるブログを書いていました。

銭湯の経営者とお会いする機会が増え、業界の現状や息子には継がせたくないというネガティブな話を聞くうちに、いつか自分が銭湯を経営したいと考えるようになりました。そこからの展開はあっという間で、気づけば会社員の傍ら昭島の『富士見湯』という銭湯で夜間アルバイトをする生活を半年ほど続け、2店舗の銭湯を継承する『ニコニコ温泉』に入社しました。エンジニアから一転し、お客さまから感謝の気持ちをダイレクトにいただける接客の楽しさからどんどん銭湯で働くことに夢中になっていきます。

風呂屋としての原体験。風呂屋・相良政之#2 /『富士見湯』/ 『東京浴場』/ 『桑の湯』

気づけば『富士見湯』で副店長になり、品川にある『東京浴場』の継業・立ち上げ店長を任せてもらい、2年ほど住み込みで店長を経験した後、マネージャーとして大阪の『辰巳温泉』と長野の『桑の湯』の立ち上げをしました。この7年間はあっという間で毎月『過去最高に楽しい!」という状況を更新していて、天職に出合えたことにいつも感謝しています。

僕はこの先どんな風呂屋を経営して、風呂を通して何百万人にどんな価値を提供していけるのか、いつも予想を超える驚きと楽しみを与えてくれる自分にこれからも期待しています。

edit : Sayuri Otobe


風呂屋 相良政之

1998年福島県郡山市生まれ。全国5店舗の休廃業する銭湯を継承する会社ニコニコ温泉(株)の統括マネージャー。昭島富士見湯、品川東京浴場、長居辰巳温泉、神戸湊山温泉、塩尻桑の湯を継承し運営。全国800軒の風呂屋を巡る風呂好きです。

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