音楽家・青葉市子×写真家・小林光大が紡ぐ、旅と日々の記憶。Choe「creature」 | Column | & Premium (アンド プレミアム)

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June 27, 2020 音楽家・青葉市子×写真家・小林光大が紡ぐ、旅と日々の記憶。Choe「creature」

クラシックギターを片手に国内外を旅する音楽家の青葉市子さん。各地でインスピレーションを汲み上げながら、日々、言葉と音楽を紡いでいます。その旅に同行し風景を切り取っているのが、写真家の小林光大さん。日々の生活に戻っても、互いの存在と作品は呼応し合い、ときには小林さんの写真を通して青葉さんが創作することも。

この連載では、旅と日常とまたぎながら2人が生み出したものを「Choe」と名付け、青葉さんのエッセイと音楽、小林さんの写真を交えながらお届けします。2人の旅と日々の記憶を、お楽しみください。

沖縄・座間味島を経て、旅は奄美大島へと向かいます。

 

creature

 
 

沖縄、座間味島、回想。

(座間味の島、岬に白い螺貝が置かれている。
その隣に私が来るのを待っている私がいた。
拾い上げ、吸い込み、一つの体を分け合いながらレンタカーに戻る。

那覇、安里の料理屋うりずんにて、古酒に海葡萄を摘んでいると、ぷちぷちと震えている、その箸の間の海葡萄一粒一粒から手足が生え、頭が生え、箸から滑り降りたかと思えばそれぞれに伸びをし、あくびをし、うるんだ大きな瞳をこちらに向けている。突如現れたクリーチャーたち。その銀河のような瞳の中には、青く光る人間たちが映っていた。)

その日を境に、クリーチャーの存在をいつも心に留めるようになった。
私たちが出逢う人々やシチュエーションも、もしかしたらクリーチャーが浜辺で遊んだ貝殻の配列によって、紡がれているだけなのかもしれないと。
そしてこの身体をやめるとき、それは、彼らが遊んでいた貝殻を海に投げたとき。
なのかもしれない。

 
私たちは奄美大島へ向かっていた。
仕事柄、飛行機にはよく乗っており、乱気流にのまれることもしばしば。
けれどあんなにも静まりかえった機内で息を呑み、黄泉の国への待合室にいるような経験は初めてのこと。
急上昇、急降下、急旋回を繰り返すも窓の外はひたすら濃霧で、時折見える翼もなんとかその形状を保つように、風に合わせて軋み、いまにも折れて彼方へ消えて行きそう。
しばらくその状態が続いた頃、あるところで覚悟のようなもの、身体とこころが乖離するような感覚に陥り、メロディが聴こえてくる。
春のワルツ。
日が差したと思えば曇が翳り、軽やかなメロディも葛餅色のコードに飲まれてしまう。
不安定な春のワルツ。

 
 

iPhoneが手から離れぬよう握りしめ、ボイスメモに吹き込んだ。
すかさずシャッターを切る小林さんも、ゆらゆらと荒波の中のくらげのよう。
今ごろ浜辺のクリーチャーの手元にはウミヘビか何かがやってきていたのだろうか。

「市子ちゃんたち、くぐり抜けられるか心配やったけどよかったなあ。旅人が島へ来る時の嵐はいい予兆なんよ。ここは龍が通る場所とも言われてるし、歓迎かもしれんね。」
と画家のミロコマチコさんが言った。

彼女はこの世界における陰と陽の扱いが同等で、
(そもそも陰と陽を区別していないかもしれない)
彼女の人柄だけでなく、作品にも表れる、ただただ色とりどりに祝福された生命の息吹に、いつもどっしりと丹田に響くお守りをいただいているのです。

 
 

小雨から大雨、風、晴れ間、霧、雷
ころころ変わってゆく天候、上空の龍の巣を仰ぐと大粒の雨が額に落ちる。
口の中で溶かした黒糖がミネラルの香りとともに鼻から抜け、ブーゲンビリアを撫でてルリカケスの声になり、マングローブへと舞い降りた。

 
 

何が起こるかわからない。
たとえクリーチャーが次の貝を海に投げようとしていたとしても、私たちはそれを知らない。
鳴り続ける鼓動のかたわらで、
光をみて未来を愛している。
雲が晴れた。

 
 

“ 奄美蛙唄 “

何処へゆくのか 嵐の中で
水鏡に映る 隣合う世界

私が跳ねれば 空に波紋が
風は交わり 狭間に龍の道が
見えるだろう

満ち引きを見ている原生の茂り
丘の上で星を見る子ども
風が吹いている

夜光貝 触れる指
命の振り分け
光に 消える神さま

 

奄美のトンネルの中で生まれた歌。

 

music & text:Ichiko Aoba photo:Kodai Kobayashi