MOVIE 私の好きな、あの映画。
極私的・偏愛映画論『ブンミおじさんの森』選・文/惣田紗希(グラフィックデザイナー/イラストレーター) / December 20, 2017
This Month Theme聖なる場所へ行きたくなる。
“かつての記憶”を感覚的に思い出せる場所。
自分の前世はなんだと思う? という問いに対して、うまく答えられたことがない。想像できない。ただ、あまり人の手が行き届いていない、自然がそのまま残っている山や森に足を踏み入れると、こっちが元々の世界だったんだと漠然と思うことがある。そこで出合う生き物たちは神聖で、産まれたままの存在のように思える。
タイの農場を営む傍ら、腎臓の病により死期を悟ったブンミの元に、義妹のジェンとトンが訪れる。3人で囲む食卓に、亡き妻フエイの霊と、行方不明だった息子のブンソンが猿の精霊となって現れる。いささか不思議なことが立て続けに起きているのだけれど、いなくなったはずの愛していた人が目の前に現れたことを、登場人物たちはすんなり受け入れていく。
ブンソンは、死期が近づいているブンミの元に、精霊と飢えた動物たちが大勢集まってきていると言う。フエイは、霊は場所には執着しない、人に執着すると言う。ブンミの命が尽きたら、再び出会えた愛すべき人たちと過ごす時間が終わってしまうのか。自分に時間がないことを悟るブンミは、フエイに導かれ、深い森のなかを進んでいく。
森から洞窟に入ったブンミは、洞窟のなかが母胎のようだと気付き、ここで産まれた記憶を取り戻し、そこで命が尽きる。猿の精霊を追いかけたブンソンも、水の神にすべてを捧げた王女も、霊となって現れた妻を愛するブンミも、人以外の何かと触れ合った人たちは、みな自然へ還っていった。
この映画の原題は『前世を思い出せるブンミおじさん』というらしい。ブンミが洞窟のなかが母胎のようだと表現し、ふと前世を思い出したことは、何年か前の夏に旅をした、豊島美術館の内藤礼の作品『母型』に入った感覚に通じるものがあるような気がする。そんな風に、かつての記憶を感覚的に思い出せる場所は、旅先でふと出合えるのかもしれないし、わたしたちの身近な自然のなかにあるのかもしれない。