リチャード・ディーベンコーンThis Month Artist: Richard Diebenkorn / November 10, 2016
河内 タカ
マティスに深い影響を受けた西海岸を代表する画家
リチャード・ディーベンコーン
リチャード・ディーベンコーンという画家は、ぼくがサンフランシスコで美大生をやっていた頃、自分の中であまりアートのことがわからないまま、かなり大きな存在だったことが今となっては懐かしく思います。というのも、ぼくが通っていた大学では、このディーベンコーンというアーティストをまるで神のように崇拝していた教授が何人もいて、彼等の口から熱く「ミスター・ディーベンコーンがいかに革新的で凄いか!」ということを洗脳されるように聞かされていたからです。
あの当時、イギリス出身のデビッド・ホックニーがまだLAを拠点にして活躍していて、それが最も西海岸らしいアートと思われていて、逆に、当の西海岸出身の画家たちにいたっては国際的にそれほど知られた人が多くなかったのです。しかしながら、このディーベンコーンだけは、サンフランシスコやバークレーやオークランド(総称してベイエリア)を拠点とした「ベイエリア・フィギラティブ・ムーブメント」という動きのリーダー的な存在で、ウィレム・デ・クーニングに代表されるような荒々しいブラッシュストロークによる「抽象表現主義」の影響を受けたスタイルをベイエリアで発展させた立役者で、“正統的な西海岸派”(笑)を自負していたぼくの学校の先生たちも例外にもれず彼の一途なフォロアーたちだったというわけです。
そんな西海岸ペインターたちにとってのヒーローであったディーベンコーンに決定的な影響を及ぼし、具象画から抽象画に向かわせる大きなきっかけを作った画家というのが、実はアンリ・マティスでした。特にマティスが描いた「コリウールのフランス窓」と「ノートルダムの景観」と題された絵(ともに1914年の作品)は具象画として描かれていたものの、見た目は限りなく抽象に近いような作品だったのですが、これらの絵に出会った後、ディーベンコーンの絵画スタイルに大きな影響を及ぼしていくことになっていったのです。奥行きのない色分けされた平面、極端に簡素化された画面、そしてどこか未完成のようにも見えるマティスの作品にインスパイアされたディーベンコーンは、身近な風景を題材に色彩と線によるレイヤーを描き始め、この一連の抽象画を彼は『オーシャン・パーク』シリーズと呼び、それから25年間に渡って取り憑かれたように描き続けていくことになります。
この『オーシャン・パーク』は、サンタモニカの太平洋を望むビーチ近くにアトリエを構えていたディーベンコーンが、アトリエの窓から見た海や空、雲や木々の緑、道路、周囲の建物などを日々観察しながら、燦々と降り注ぐ太陽の光や、南カルフォルニアのドライな空気を連想させる軽やかな色彩とともに、なんどもなんども描き直された線と面によって構成された“フラットなのに奥行きを感じさせる”独特の油彩画だったのですが、マティスの絵を基点にしながらも、その画面構成や色彩はどんどん変貌を遂げていき、やがて西海岸絵画の代名詞とも称されるようなシリーズになっていったのです(その結果、ディーベンコーンは約140点もの大作シリーズを完成させるにいたった)。
ディーベンコーンの絵の面白さというのは、それが抽象であっても、風景や人物がそこに描かれているという場の空気感というのが表現されているところで、まさに南カルフォルニアの天候や景観そのままというか、空気の色や海からの風の質感などが画面全体から醸し出され、その色とりどりのバリエーションはずっと見続けても飽きることのない魅力に溢れています。残念ながら日本ではなかなか観る機会が少ない画家でもあるので、もしアメリカの美術館に行かれることがあれば、是非、ディーベンコーンの美しく透明感に溢れる絵画を探してみてくださいね。