MOVIE 私の好きな、あの映画。
極私的・偏愛映画論『ファントム・スレッド』選・文/岡尾美代子(スタイリスト) / October 29, 2018
This Month Themeエレガンスを感じる。
すっと伸びた首筋や、何気ない仕草にエレガンスを感じる。
映画の冒頭。美しい旋律のピアノ曲とともに、ダニエル・デイ=ルイスが演じるオートクチュールのデザイナー、レイノルズ・ウッドコックが朝の身支度を始める。ヒゲを剃り、靴を磨き、鼻毛と耳毛を切り揃え、顔にお粉を叩いて(!)、髪を梳かし、長靴をピシッと伸ばして履いてからスラックスを身につける。レイノルズがそんな身支度を整えているあいだに、同じ建物内のアトリエの窓が順々に開けられ、裏口から待っていた縫い子たちが入ってきて働き始める。
初めてこの映画を観たのはニューヨークから日本に戻る飛行機の中だったのだが、この朝のシーンの映像の上品さにいきなり心を奪われてしまった。そして「この映画好き!」と決定的に思ったのは、カントリーサイドに佇むホテルの食堂で、運命の女性アルマと出会うシーン。光、食堂のインテリア、レイノルズの“紳士の休日”的なファッション、アルマが着ているウェイトレスのユニフォーム、それにレイノルズの“hungry boy”な朝食のオーダーも(最後にウェルシュ・ラビットを頼んでる)、もう……、すべてが完璧で、機内で1人うっとり状態になったのだが、この後、二人の愛の物語は「えーーっ(オカオ心の声)」と、思いもよらぬ歪んだ形に進んでゆく。
美しく贅沢なオートクチュールのドレスを作る彼の日常は、上品で、洗練されたものに囲まれている。それはもちろん彼の審美眼によって創り上げられたもので、その世界を言葉で言い表すならば「エレガント」。そう、この一言に尽きる。インテリア、朝食のテーブルに並ぶ食器、鉄瓶、上質なパイピング・パジャマや、フランドル派の絵画のような花のアレンジも。こんな風にどこを切り取ってもエレガントなものばかりの中で一番印象的だったのは、レイノルズの姉のシリルだ。後ろに撫で付けた髪、いつもコンパクトな黒い服を身に着け、アクセサリーは控えめに(でもフルに装着)。こういう彼女のスタイルもエレガントだけれど、何よりもすっと伸びた首筋や、何気ない仕草に彼女のエレガンスを感じたのだ。アルマもレイノルズに出会ってから洗練された女性になっていくのだが、ポケットに手を突っ込む癖があったりして、エレガントさに欠ける部分があるのだな(でもそれが彼女の魅力なのだが)。
ところでこの映画のメイキングシーンを見てわかったことがある。アルマの髪型や服装は、最初からこのスタイルだったわけではなく、徐々に調整されていったということ。お茶を淹れる鉄瓶も、最初は白いポットが用意されていたこと。きっと花のアレンジ一つにしたっていろんなものを試してみたのではないかしら。レイノルズの世界、そしてこの映画の世界観を創り上げるための試行錯誤の積み重ねが分かって興味深かった。
ポール・トーマス・アンダーソン、好きだわ。