マルセル・デュシャンThis Month Artist: Marcel Duchamp / June 10, 2016
河内 タカ
はたしてアートは美しくなければならないのか?
マルセル・デュシャンの歴史的な傑作『Fountain』
フランス人のアーティストで、コンセプチュアルアートの父として知られるマルセル・デュシャンが、今から約百年前にフランスからニューヨークに活動を移したとき、あるひとつの「作品」によって、それまでのアートの常識を覆すようなアイディアを提示しました。それが『Fountain』です。今ではあまり見かけなくなった旧式の男性用便器を通常使用されるポジションから90度傾けて立て、その横側にもっともらしく黒の絵の具で「R. Mutt 1917」という作者のサインを入れたのでした。
この白いなんの変哲もない便器の作品は「泉」というタイトルで日本では知られ、人を食ったようなジョークっぽさが最大の特徴なのですが、約10年前にイギリスで行われた「世界の美術界をリードする五百人に、もっともインパクトのある芸術作品を5点選んでもらう」という人気投票で、ピカソやウォーホルやジョーンズやセザンヌやポロックらの作品を押さえてなんと堂々の一位を獲得したのです。
デュシャンのレディメイド作品でももっとも有名であろうこの作品は、ニューヨークにあった近所のデパートに行って〝ごくごく普通に市販されていた新品の便器〟を買い、それに自身の名前でなく他人の名前のサインと制作年を入れただけのものです。それがなぜもっともインパクトのある作品になりえたのか? その答えを探るべく、デュシャン本人の次の言葉をじっくり噛みしめて読んでみてください。
「Mutt氏が自身の手でこの『Fountain』を制作したかどうかはまったく重要ではない、彼がそれを“選んだ”ことが重要なのだ。彼はただの日用品を選び、そしてそれをアート作品として展示した。しかし、そのときに新しいタイトルと新しい視点が加えられることで、本来の便器としての機能は失われた代わりに、アートのオブジェとして新しい考え方を提示したわけなのだ」
どうですか、語っていること自体は別に難解ではないですよね。もちろんいろいろな意見や反論や「そんなもん、到底アートとは呼ばん」とおっしゃる方もいるかもしれない。実際、この作品は猛烈な勢いで当時のアメリカ人には嫌われたのです。しかし、たとえば、それがウィットやユーモアやアイロニー好きだったデュシャンだったからこそ成し得た、ひとつの粋な芸術的パフォーマンスだったと考えれば、なんとなくシックリするのかもしれません。
そもそもこの便器自体はそんなにアートとして崇拝する必要もないのです。それよりも、これがアート作品なのだと彼が世に問うたことで「新しいモノの見方や考え方を提示した」ところがもっとも重要なわけで、そういった既成の概念から外れたような見方や考え方が、結局、今に至るまでの重要なアートの流れや歴史を形作っていくことになったのは否定できないはずです。そして、このデュシャンという人は、そんな斬新でラジカルな発想をなんと一世紀も前に確信を持って世に提示してしまったわけで、やっぱりそこのところが革新的といわれている所以なんでしょうね。