MOVIE 私の好きな、あの映画。
極私的・偏愛映画論『リトル・フォレスト 夏・秋』選・文 / 三上奈緒(旅する料理人) / July 25, 2021
This Month Theme料理の楽しさが広がる。
皿の向こう側の世界。
料理というのは、皿の上だけのことだろうかと思うとそうではない。料理にたどり着くまでのプロセスが、すでに楽しかったりするのだ。
そのもっと前を知ることで、楽しさも美味しさも、深みが増すのではないか。美しい里山の景色とともに、そう教えてくれる映画を紹介したい。
映画『リトル・フォレスト』は、夏・秋、冬・春の2部構成だ。
都会生まれのいち子は、都会に自分の居場所を見つけられず、東北の小森という小さな集落に帰ってきた少し内気な女の子。自給自足の暮らしをしながら、自分の生き方を見つめ直していくという話なのだが、季節の移り変わりとともに1品ずつ料理が登場する。
みなさんは「料理をする」といったらどの工程から考えるだろう。大抵の人は「スーパーに食材を買いに行こう」から始まるのではないか。右腕に買い物かごを下げながら、今晩のおかずは何にしようかとレシピから食材を選ぶだろう。都会育ちの私も、昔はまさにそんな感じだった。
しかし、いち子の場合は違う。その順序が、逆なのだ。食材は自分で育てたり、もらったり、拾ったりするところから始まるから、季節の流れとともにやって来る。そこから、「何を作ろうか」が始まる。お題が向こうからやって来る感じだ。
そこにグミの実があるから、トマトが獲れるから、アケビを見つけたから、料理が生まれていく。いち子の料理は皿の向こう側からすでに始まっている。それはまさに、私が地方を旅する中で見つけた楽しさと重なる。欲しい食材を選ぶというよりは、“あるもんでなんとかする”感覚だ。
夏空の下、脇芽をかき、丁寧に育てたトマトを畑でがぶりと頬張る様子はとても美味しそうで眩しい。トマトなしの生活なんて考えられない、と言ういち子は自家製ホールトマトを作る。
秋にはくるみのおにぎりを。川の道沿いでくるみを拾うところから始まる。くるみが、緑の状態から、一体どうやって茶色の状態にするのか、恥ずかしながらこの映画で初めて知った。稲刈りを終えた田んぼで一息つきながら頬張るそのおにぎりが、美味しそうでたまらない。間違いなく私の食べたいものリストに加わった。もちろんおにぎりの米は、去年その田んぼで取れた米だ。
いち子が森でアケビを見つけたときの気持ちは、森に入るたびにキイチゴを探す自分とついつい重ねて観てしまう。
アケビを縁側で食べながら、この皮をどうしたら食べられるかという話をしているいち子。あぁ、分かる分かるその気持ち。ここには好奇心という刺激物が隠れている。こうしたら美味しいかも、と想像している時間もとても楽しかったりする。当たり前のものから生み出すのではなくて、未知なるものと対面して頭をひねる感じだ。自然からのお題は、いつも想像を掻き立ててくれる。
この原稿を書いている数日前に、私はファームステイをしていた。滞在中はお昼ご飯当番なのだが、毎日ナストマトピーマンが畑で収穫できる。特にナスは豊作で、「ナスをなんとか消費してくれ」と農家さんからお題が出た。揚げ浸しもカレーも作ったが、まだまだナスは減らない。特に多い水ナスは、生で食べる印象があり、浅漬けですでに食べているし、焼きなすに向いているのだろうかと疑っていたが、グリルで丸焼きにしたらほっぺたが落ちるほど美味しかった。
「え、それだけか」という人もいるかもしれないが、水ナスは生で食べるものと刷り込まれていた私には、大発見だったのだ。
つまり、何が言いたいかというと、自分の持っている引き出しなんて、限られている。だから、こうして変化球が来ると、見えていなかった引き出しがこじ開けられて楽しいよってことだ。
自然は人間の思い通りにはならないもので、料理もまた、その自然をいただいているわけだから、あるものをどう料理するか、という順序なのだと思う。
ということで、畑のまかない用トマトがたくさんあったのでトマトパスタを作った。いち子は自家製トマトの水煮でパスタを作ったが、私のはフレッシュの方だ。しかし違うところがもう一つある。私はまだ、いち子のように、作物を育てるフェーズには行けていない。そこに到達した暁には、また新しい感覚を得られるのではと楽しみにしている。
皿の向こう側は、まだまだ深い。それを見ることができるほど、料理は楽しくなるし美味しくなると思っている。
まずは森にアケビを探しに出かけたいと思っているし、くるみも拾いたい。もちろん、栗もだ。今年の秋は忙しくなるぞ。
『リトル・フォレスト 夏・秋』
発売中&デジタル配信中
Blu-ray:5,170円(税込)
発売・販売元:松竹
Ⓒ「リトル・フォレスト」製作委員会
※2021年7月時点の情報です