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極私的・偏愛映画論『ありがとう』選・文 / 月永理絵(映画酒場編集室) / November 26, 2019

This Month Theme大切な人に”ありがとう”を伝えたくなる。

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人々の心を動かす、まっすぐな行動。

『ありがとう』が公開されたのは2006年。当時の私は、『Unloved』の万田邦敏監督の新作と聞いてはりきって見に行き、前作とはまったく違う作風に呆気にとられていた気がする。映画が映すのは、1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災と、そこから始まる5年間の物語。主人公は大震災で家を失い、長年暮らしてきた町を破壊された、カメラ屋店主・古市忠夫(赤井英和)。唯一無傷で残った愛用のゴルフバックに感銘を受け、還暦間近でプロゴルファーになった男の実話がもとになっている。

震災時の描写にまず驚かされた。大きな揺れが家屋を破壊し、火災があっという間に町を焼き尽くす。緊迫した一夜の救出劇はまるでハリウッド映画のようだ。撮影は、実物大の町をオープンセットで再現し、実際にセットを燃やしながら行われたという。震災当日を完璧に再現することを目指したようだが、監督の意識は、明らかにハリウッド映画的な何かを目指している。

時が経ち、町が一応の落ち着きを取り戻すと、古市のプロゴルファーへの挑戦が始まる。一番丁寧に描かれるのは、プロテスト最終試験の数日間。古市のサポートに就くキャディ役を演じるのは薬師丸ひろ子。彼女は当初、どこか緊張した面持ちで佇んでいる。だがプレイ前にコースに向かってゆっくりとお辞儀をする古市の姿を目にし、はっと顔つきが変化する。彼女が魅入られたのは、彼のまっすぐなおじぎの持つ力強さ。彼が打つボールもまた、同様にまっすぐ正確に飛んでいく。その様子に、彼女は迷いを捨て、この仕事を全力で楽しもうと決意する。

赤井英和演じる古市という男は、元来おしゃべりで、説教好き。すぐに大声で人生訓を語り出しては、家族や周囲の人々を呆れさせる。それでも、彼が町の復興を提言すれば人々は彼に従い、プロゴルファーを目指すと宣言すればみんながその夢を応援する。人々を動かすのは、彼の言葉ではなく、彼の行動だ。彼のがむしゃらな走り方。まっすぐなおじぎ。ありがとう、おおきに、と手を合わせる仕草。そうした彼の所作に引き込まれ、誰もが彼の言うことを信じたくなる。

『ありがとう』はどこか歪な映画だ。まるで一本の映画の中にいくつもの映画が混入したようでもある。それでも、この男の不思議な魅力に、気づけばこちらも魅入られている。

illustration : Yu Nagaba
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「阪神淡路大震災」の瞬間を正確に描写しようとしながらも、どこかハリウッド映画的なシーンができあがる不思議さ。主演の赤井英和、田中好子の他に、永瀬正敏、鶴見辰吾ら豪華なキャスト陣も見どころ。
Title
『ありがとう』
Director
万田邦敏
Screenwriter
平山讓
仙頭武則
七字幸久
万田邦敏
Year
2006年
Running Time
125分

映画酒場編集室 月永 理絵

出版社勤務の後、フリーランスの編集者・映画ライターに。雑誌『映画酒場』『映画横丁』編集人。映画評や取材記事の執筆の他、「映画酒場編集室」名義で、書籍・映画パンフレットの編集を手がける。

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