日本の美しい町を旅する。
個性の強い小さな店がひしめく城下町、岩手県・盛岡へ。前編July 01, 2023
旅の醍醐味は、美しい風景に出合い、その土地ならではのものづくりや人々に触れ、おいしいものを食べること。さらに、そこに暮らすローカルの案内人がいれば、地元の人しか知らない場所にも行け、旅はより楽しいものに。訪れたのは岩手県中部に位置する盛岡。奥羽山脈の岩手山、駒ヶ岳などを望み、3本の川が合流する自然豊かな地である。案内してくれたのは『吉浜(きっぴん)食堂』を営む松川麻由さん。高校生の頃から個人店での買い物にこだわってきた彼女にとって、個性豊かな店が点在する盛岡は理想の地。そんな彼女のとっておきスポットを聞いた。
Landscape_町を見守るようにそびえたつ、 シンボル的存在の岩手山。
Craftwork_まとうことで元気になる、 佐々木龍大の透明感のある藍染。
Culture Spot_他を利することを考える場、 『リタ』で心と体を整える。
Food_ 地元食材で作るオリジナル料理が絶品、 『吉浜食堂』と『プラッサッジョ』。
The Guide to Beautiful Towns_盛岡
店の人とおしゃべりして、 町の文化を実感する。
「イーハトーヴォのすきとおった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら、うつくしい森で飾られたモリーオ市」。宮沢賢治の短編『ポラーノの広場』の一節である。
宮沢賢治とゆかりを持ち、詩人・石川啄木や国語学者・金田一京助を輩出した盛岡は、美しい言葉で綴られるにふさわしい町である。北上川を中心にその支流となる中津川と雫石川が流れ、橋からは岩手山の堂々としながらも優美な姿を見ることができる。
川の水がキラキラと反射し、樹齢100年を超える大きなイチョウが木陰を作る。のんびりと時間が流れ、川からの新鮮な風がキリッとした空気を運ぶ。その様は、賢治の心象風景のなかの理想郷イーハトーヴォとは、こんな場所だったのでは、と思えてくる。
そんな詩情あふれる町を案内してくれたのは、在住17年目を迎えた、『吉浜(きっぴん)食堂』を営む松川麻由さん。彼女にとっても岩手山の風景は格別だという。
「家から店に通うときに開運橋を通るので、必ず岩手山を目にします。シンボル的存在で、その日によって空や雲の感じも変化するので、毎日見ていても感動します」 ほかにも川辺に遊歩道が設けられた中津川周辺のランドスケープも癒やしのスポット。自然と人の生活が近く、程よい距離感で共存しているのもこの町の特徴だ。
前職の転勤で盛岡に引っ越してきた当初の松川さんは、その風景のなかを自転車で巡っていた。昼休みになると個人の店で食事をし、ショップに顔を出し、喫茶店でお茶をしてから仕事に戻る。
「青森・八戸から移ってきて、同じ南部藩の流れなので似たような雰囲気なのかな、と想像していたのですが、人の感じは全然違いました。八戸は最初からオープンマインドなのですが、ここは保守的というか、仲良くなるまでに少し時間がかかる。でも、一度心を開くとみなさん温かくてとても親切。そういう人の感じが、盛岡の文化をつくっている気がします」 町を巡るうちにカルチャーをつくり出している人たちと出会い、だんだんと付き合いも深くなった。『some-mono 佐々木龍大atelier&gallery』を主宰している佐々木龍大さんもその一人。
「藍染の染師です。工房も併設されていて、ものすごくこだわってものづくりをしていらっしゃる。水がきれいな盛岡ならではの手仕事だと思います」
ここもそうだが、盛岡の最大の魅力は、小さいながら店主の思いがはっきりしている個人オーナーの店が多いことだと、彼女は言う。
「ものづくりでもセレクトショップでも料理店でも、店主の考えがしっかり反映されている個人店がたくさんあるんです。自分を表現したい方が、それを形にして継続できる土地柄なのかな、と思います。しかも、一人一人が町に対する熱い思いを持っていて、もっとよくなってほしいと願っている。そういうエネルギーも全体の活力になっていると思います」
そのキーパーソンともいえるのが『リタ』の下山久美さん。ここをハブとして、さらに新しいカルチャーが広がりつつあるという。 考えてみれば、90年以上前から自家焙煎の喫茶店があり、老舗から新店まで喫茶店といえば盛岡、といわれるほど発展。それは、個人店を応援する文化が、人々の暮らしに根付いている証拠でもある。
『吉浜食堂』と同様に、丁寧なイタリア料理を出す『プラッサッジョ』も個人オーナーの料理店だ。
「『プラッサッジョ』とは共感できる部分も多いんです。自分がお客様だったらどう思うかを常に考えていらっしゃる。お客様の喜びがあって私たちの商売は成り立っているので、その心意気によい刺激を受けています」
個人店だけでなく、毎日のように朝市が開かれ、毎週土曜には路上買い物市が開催。どちらも地元の人で賑わい活気がある。どこへ行っても人々は親切で、景観はきちんと手入れされ、まるで宝箱の中にいるような気分に。
それは外国人から見ても同じらしく、今年1月にアメリカの『ニューヨーク・タイムズ』が「2023年に行くべき52か所』を発表。イギリスの首都ロンドンに次ぐ、2番目に盛岡が選ばれた。
「ウインタースポーツをするのにも人気のようですが、私は静かに景色を見たり、お店を巡ったり、コーヒーやワインをいただいたりする。そういう静かな旅がおすすめです。大人にじっくりと楽しんでいただける町だと思います」
有名な観光名所があるわけではないが、町に身をゆだねているだけで満足できる。そして、そのことを住んでいる人たちも知っていて、誇りに思っている。節度ある文化が定着した活力ある町は、心に清潔な記憶を残してくれる。
松川麻由 『吉浜食堂』オーナー
北海道釧路生まれ。子どもの頃から洋服が好きで、勤めていたアパレル会社の転勤で盛岡に配属。そこで飲食店で仕事をしていた夫と知り合い結婚。2017年に二人で『吉浜食堂』を開店する。ナチュールワインや日本酒も充実。
東京駅から盛岡駅まで東北新幹線で約2 時間15分。南部藩の城跡が残る城下町。町の中心地は頑張れば歩いてまわることもできるが、盛岡駅前などにあるレンタサイクルを使って自転車で巡るのも楽しい。また主要スポットを網羅している市街地循環バス「でんでんむし」(大人¥120)も便利。
photo : Ayumi Yamamoto illustration : Jun Koka edit & text : Wakako Miyake