河内タカの素顔の芸術家たち。
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ウィレム・デ・クーニングThis Month Artist: Willem de Kooning / June 10, 2020
抽象表現絵画としては「異物」と言われた画家
ウィレム・デ・クーニング
日本ではジャクソン・ポロックほど知られていないようですが、実はポロックとこの画家こそが、戦後にニューヨークで誕生した「抽象表現主義」と呼ばれるアメリカ独自のムーブメントにおいて、最も重要と言われている人物です。この画家、つまりウィレム・デ・クーニングは、アメリカでなくオランダに生まれ、若くしてニューヨークに移り住んで以来、この街を拠点としながらアーティストになる夢を追い続けました。
しかし、そう簡単にはチャンスは訪れず、移住してからかなり長い間、デ・クーニングはペンキ屋や大工や商業美術の仕事によって生計を立てていました。30代後半の頃には「WPA」というニューヨークの公共事業促進局に雇われ、そこでポロックやマーク・ロスコたちとともに壁画を描く仕事に携わっていたこともありましたが、長い間、違法移民だったということもあり、さまざまな苦労があったようです。そして、44歳にしてようやく初の個展を開催するチャンスを得ると、実力はもともとあったということもあり、それからは定期的に展示の機会にも恵まれるようになっていきます。
そんな苦労人だったデ・クーニングの作品の中でもっとも有名なものが、50代になって制作した『女』というピカソの影響が感じられる連作で、これによって彼の名が知られるようになっていきます。ところが、抽象表現主義を代表する画家と言われているはずなのに、この絵はどう見ても抽象画ではないのです。目や口や身体がはっきりと認識でき、それが裸の女性であるというのがわかりはするのですが、その描き方がとても特徴的で、画面全体がエネルギッシュで攻撃的なストロークで描かれていたのです。
感情のおもむくままに筆を走らせ、部分的に女の身体が壊された、抽象がかった具象画ともいえるデ・クーニングの『女』は、人物と背景とがまさに同化するように描かれていました。おそらくこの絵を最初に見た人には、その乱暴に満ちたような画面がほとんど抽象画に見えたのかもしれませんね。しかし、それとは逆に「純粋な抽象表現こそが現代アメリカ絵画の最先端である」と主張する当時のアーティスト仲間たちや批評家たちからは、この中途半端ともいえる絵は冷笑されてしまうのです。
しかし考えてみれば、デ・クーニングはもともと絵が際立って上手く、女性に限らずそれまでずっと人の姿をモチーフとしていた画家だったのです。要するに、彼の描き方がニューヨークの抽象スタイルに触発され進化していき、それが次第に抽象画のようになっていったという言い方ができるかもしれません。だから、デ・クーニング本人からすれば「それは君たちの解釈であり、私は自分のやり方で描いているだけなのだ」と苛立っていたはずで、純粋な抽象絵画しか認めないという周囲や、抽象画の先行きに対してもどこか違和感を抱いていたのではないかと思います。
デ・クーニングのそんな予感は多かれ少なかれ当たり、ジャクソン・ポロックが絵の具を滴らせ撒き散らしたラジカルな作品によってスター扱いされたものの、その勢いは急速に失速してしまい、傷心のまま1956年に命を落としてしまいます。一方、デ・クーニングはというと、その後40年もの間、「抽象とか具象とかということを討論すること自体、そもそも次元が低いではないか」といわんばかりに、自身の信念とスタイルを貫き、自由かつリズミカルに筆を動かしながら、豊かな色彩に満たされたダイナミックな作品をコンスタントに生んでいくことになるのです。