河内タカの素顔の芸術家たち。
多岐にわたる写真表現に取り組んだ夭逝の写真家 安井仲治【河内タカの素顔の芸術家たち】Nakaji Yasui / April 10, 2024
多岐にわたる写真表現に取り組んだ
夭逝の写真家 安井仲治
安井仲治は、10代から関西の写真界で頭角を現した写真家です。大正から昭和初期まで旺盛な活躍をしたものの、1942年にわずか38年という短い生涯を終えました。日本のモダニズム写真のパイオニアとまで言われる安井の写真には、安井が生きた激動の時代がそっくりそのまま鮮やかに写し出されているように思えます。
安井が活動していた時代は1920年代から1940年代初頭まで。当時のプロの写真家といえば、写真館を営む肖像写真家か新聞や雑誌記事のための報道写真家がほとんどで、芸術的な写真を撮ろうとしていた安井のような写真家たちは、ほぼ例外なくアマチュア写真家たち、つまり写真愛好家でありカメラ愛好家たちでした。それが幸いし、彼らはなんの制約もされることなく自由かつ実験的な写真に挑戦することができたのです。
安井の場合、ピクトリアリズムと呼ばれたソフトフォーカスの絵画調の写真から始まり、次第に欧州の前衛写真に影響を受けた作品を制作するようになっていきます。例えば、マン・レイによるシュールレアリスム的なアプローチ、ムホリ=ナジ・ラースローらが打ち出したバウハウスの構成主義的な写真など、ブレ、クローズアップ、望遠、変則的なアングルなどの表現に加えて、日本的な情緒や美意識を掛け合わせることで安井は独創的な世界を築いていくのです。
フランス語を学んでいたことや、輸入港であった神戸港が近かったということもあり、安井は早くからフランスやドイツの写真雑誌や書籍を取り寄せていたといいます。さらには超高級写真機であったライカ(当時のライカは家一軒分くらいする高価なものだったという)をプロでもないのに手に入れることができたのは、洋紙店を営む養父が裕福だったからです。経済的に恵まれ探求心も旺盛だった安井は、その環境を最大限に活かしながらカメラを介して自分の周囲の世界と向きあい、ひたすら撮りたいものを被写体とし自身の表現としての写真を究めていきました。
子供の頃から身体が弱く、また戦争の時代ということもあり、海外へ旅することもなく、撮影した場所も関西圏がほとんどだったはずですが、安井の写真にはまるで異国で撮ったものではないかという作品があるのです。その一つが代表作の「流氓ユダヤ」シリーズで、第二次世界大戦中にヨーロッパから迫害を逃れて神戸にやってきたユダヤ人たちを撮ったものです。社会の不平等や戦争へと向かう不穏な世界観を表したルポルタージュ作品なのですが、時代を先取りしたようにパーソナルな視点が感じられる表現を試みています。
神戸、名古屋、そして東京へと巡回した今回の「生誕120年 安井仲治 僕の大切な写真」展はとても感動的な内容だったのですが、その大きな理由として安井自らが焼いたヴィンテージプリントが約140点も展示されていたからに他なりません。絵画のように一点ものという意識を持ってプリントを作っていた安井ならではの手法で、初期の作品は絵具と筆を使って絵を描くように仕上げられており、撮影現場にあるものに手を加えることで違和を生む「半静物」と呼んだ作品は、手仕事によるグラデーションの繊細さに加え、奇妙で不穏な構図やアイデアに魅了されてしまいました。
そんな安井仲治の名が日本の写真史に刻まれることになったのも、ルポルタージュ的写真、新興写真、シュルレアリスムの影響を受けた写真、複数の写真を組み合わせたフォトモンタージュなど、ひとつのスタイルに固執せずに、表現方法を軽やかに変化し続けたからかもしれません。裏を返せば、欧米の前衛的な写真表現を理解して柔軟に取り込みながら、それを自分の表現として受容できる天賦の才能があったといえます。ともかく、多くの可能性や創造のヒントが秘められている安井の作品を見れば、戦前の日本にこんなにも凄い写真家がいたことに驚かれると思うのです。
展覧会情報
「生誕120年 安井仲治 僕の大切な写真」
会期:開催中~2024年4月14日
会場:東京ステーションギャラリー
住所:東京都千代田区丸の内1-9-1
お問い合わせ: 03-3212-2485
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202402_yasui.html